勇者のための四重唱


勇者と40人の盗賊 7

 カルーラ聖王国直属の兵士が着る軍服は、藍である。右肩に、剣に絡み付く竜の絵が縫われていた。竜は、初代聖王が、神より聖剣と共に授かった、国の守り神と言われている。水面に映る蒼き月の国の王だ。

 それ以外の兵士――貴族が、家のため、また領土のために雇う兵士――は、藍を着ることを許されていない。

 今、聖都の北西にある山を越えたところにある街に、藍色の軍服と、水色の軍服を着た者達が集まっていた。

 彼らは街の中心にある城を、ぐるりと囲んでいた。藍の軍服が正面口を中心に、水色の軍服が裏口を中心に、中から出てくる者は一匹も逃さぬよう、警戒を強めて見張っている。

 二色の軍服に囲まれた城では、今回彼らを引き連れてここに来た濃紺の髪の将軍が、領主と面会していた。今は藍の軍服を着ているが、彼は両者の上司である。今回は、王の命令で出向いているから、藍の軍服を着ているだけだ。

「これは何事ですっ!」

 ドンっ! と領主ヤルマルが机を叩いて怒鳴る。聖王の命を受けてやって来たモーラは、ぽりぽりと耳の裏を掻いた。

「大勢の軍をもって、我が城を取り囲むとは!? 領民が脅えております。私が納得する、十分な理由があっての事ですよね」

「理由? 分かっているでしょう」

「なんのことです?」

「しらばっくれるのが下手ですね。ありきたりな台詞で、面白味のかけらも無い。しかも、目が泳いでいる」

 悪いことに、向いていないのでは? とモーラは苦笑した。彼が領主との面会に連れて来た兵士は水色の軍服だ。彼らは将軍と違い、笑いの余地がないくらい厳しい表情をしていた。彼らは、いや、ここに来た兵士たちは、皆、今自分たちがここにいる理由を知っている。知っているからこそ、彼らは怒り、自分の仕事を全うしようとしていた。

「他の国はしりませんが、この国で、それが非道なものと言う常識になって、もう何百年も経ちます。それでも、こういう輩が消えないのは、嘆かわしいことですよね」

「だから、なんのことです?」

 モーラは肩を竦めるだけで、答えない。たとえ下手でも、しらばっくれると決めた人間へは、どんな言葉を突き付けても、認めはしない。

 彼は、一緒に城へ入り、現在城内を駆けずり回っている部下たちの報告を待っていた。目の前の男を観念させるためには、部下の報告が必要だった。

「おいで……」

 あまり目の前の男と言葉を交わしたくないモーラが、どうしようかと考えていたら、背後の開き放しだった扉から、男の優しい声が聞こえた。

「失礼します」

 その声は、一転、生真面目なものとなる。待っていましたとばかりに、モーラは振り返った。そこには、長身の男が扉の前で真っすぐ立っていた。彼の横には、胸に届くかどうかという身長の少年が、泣きそうな表情で立っている。彼が泣き出すのを耐えているのは、藍色の軍服の手が、優しく彼の肩に乗っかっているからだろう。

「見つけました」

「見れば分かる」

 少年は、豪奢な服を着ていた。だが、そこから覗く手足は、切なくなるほど細い。赤紫の瞳に宿る感情は、恐怖。視線は、モーラを通り越して、その奥にいるヤルマルに釘付けられていた。

「地下の、鍵の掛かった狭い部屋に。同じような部屋が10あり、半分は金品が、残りの半分には子供が閉じ込められていました。金品の量は予想よりかなり少ないです。すでに流れているとみていいでしょう」

「それは、面倒くさい話だ」

 被害者へ説明し、納得してもらう事に。

「で、子供は?」

「……部下たちが宥めています。神殿に頼み込んで、僧侶を連れて来てよかった」

 部下は瞑目し、耐えれない、と言う風に頭を振った。

「彼が、一番『マシ』だったので、お願いして来てもらいました」

 部下の言わんとすることを理解したモーラは、どこか人を食ったような表情に、不快の色を宿らせる。

「つまり、ここは地獄への門ではなくて、地獄の終着点だった、と言うことか……」

 盗賊によって拾われ、育てられた子供は、ここに売られた。盗賊には持ち合わせていない貴族の伝を使い、ここから更に、どこかへ売り飛ばされていると思っていたが、そうではなかったのだ。ある一定の年齢に達した子供を欲していたのは、領主自身。

 扉の前に立ったままの男は、静かに首を縦に振る。

 モーラは深い溜息を吐いて、扉までゆっくり歩いた。彼が一歩近寄るたびに、少年は震える。恐らく少年は、声をかけたのがあの兵士だったら、ここまで来られたのだろう。彼は、子供が勝手に心を開くという、不思議な特技がある。

 モーラは彼らの目の前まで来たら、威嚇しないようにしゃがみこみ、少年より視線を下にした。それでも彼の瞳は恐怖で戦いている。一番マシでこれかと思うと、能天気だと自負する自分でも、心が重くなった。

「ゆっくりで良い――君は、後ろのおじさんが守る」

 おじさん……モーラより少しだけ年嵩の独身兵士は、微妙な表情を浮かべた。当然それは無視する。

「話してくれるかな?」

 少年は、こくりと頷いた。

「奇麗な服を着て、ここに来たら、閉じ込められた。前のは潰れてしまったから、おれが追加されたって……ここに来て最初の日に、『潰れた』の意味を知ったよ」

 殺されたんだ。その声はどうにかモーラに聞こえる程度の、小さなものだった。

「おれは呪文に興味がなかったから、ラッキーだった。アリスは、最初に喉をつぶされて……」

「もういい。ありがとう」

 話せと言ったのは自分だが、小声だが淡々と語る少年の言葉を止めた。語る子供が辛そうだから止めたのではない。聞くに耐えられなかったから、止めたのだ。

 俺は坊ちゃんだ。

 モーラは痛切に感じる。実際にあった話すら聞くことが出来ない。アドルに哂われても仕方がなかった。

「辛かったな。話してくれてありがとう」

 モーラはそっと頭をなでる。触る瞬間、少年の身体が強ばったのが分かって、悲しくなった。

 可哀想な子達だ。不幸な目に遭い独りぼっちになって、売られるために育てられて。挙げ句、売られる目的が、これだ。

「……悪趣味な下郎め」

 モーラは立ち上がり、灰色がかった青い瞳を、鋭く城の主へ向けた。国では将軍職にあり、家の中では私兵を率いる、典型的な武官である彼の睨みは、一領主を震え上がらせるのに十分だった。

「我が国の刑罰を知らない訳ではあるまい……」

「ひっ!」

 ヤムマルが引きつった悲鳴を上げる。思わず窓枠についた手が、ガラスに当たり、がしゃんと音をたてた。

 悪意には同等の悪意を、善意には同等の善意を。これが、この国の基本。彼は、子供たちが受けたものと同等の罰を受けなくてはいけない。

「こ、殺す気か……」

 元々、悪知恵を働かすタイプではないのだろう。罪の証を突き付けられて、ヤムマルは、ごまかすのを諦めた。

「今すぐは殺さんさ」

 ある意味潔い領主に、モーラは苦笑を漏らす。

「とりあえず、領地と城は没収だが……」

「何っ!」

 ヤムマルの表情が変わった。

「ベッカータ家の次代は、決まっていなかったな」

 領主には、子供は愚か、妻もいない。彼の趣味を見れば、いなくて良かったと、心から思うが。

「弟がいたな」

「やっ、やめろっ!!」

 ヤムマルは、顔を真っ青にしてモーラにつかみ掛かってきた。しかし、子供をいたぶることしか知らないヤムマルが、国の将軍に敵う訳がない。モーラは片足を残して、ひょいと身体を傾ける。彼を掴もうとしたヤムマルの両手が空を切る。同時に、モーラの片足にヤムマルの足が引っ掛かった。

「うわっ」

 ヤムマルは無様に頭から柔らかな絨毯に突っ込む。少年が、びくりと震え、部下の背後に隠れた。モーラの左右に控えていた兵士たちが、間髪入れず領主を捕らえる。

 モーラはゆっくりと歩き、ヤムマルの正面に立った。自然と領主を見下す形になる。彼に対しては、威圧が目的だから視線を同じ高さにする必要はない。

「真面目で公平な仕事をすると評判だ」

「そんなことはない! あいつは小賢しいだけだ」

 ヤムマルは顔を真っ赤にして怒鳴った。

 ここに来るにあたり、モーラはベッカータ家の事を調べた。城に勤務している弟は、地位は低いが、先に述べたように評判が良い。そして、この兄弟は、仲が悪かった――いや、当主が孤立していた。孤立の理由までは知らない。ただ、彼の趣味も、原因のひとつではないかと、モーラは思った。

「お前の弟が、ここを継ぐよう、王に、進言しておこう」

 ゆっくりと、一言ずつヤムマルへとつむぐ。それは、彼にとってどんな拷問よりも堪えるもののようだった。

「止めてくれ……領地没収ならわかる。だが、あいつに……あいつらにだけには……」

 領地を取られるのよりも、大嫌いな弟が自分にとって変わることが、彼にとって嫌なことらしい。

「お前の罪と同等の罰のようだな。死刑よりも、お前の大っ嫌いな弟が、良き領主になって讃えられる姿を、牢の中で見るほうが、お前にとっては痛いようだ」

 残酷だな、と自らを省みながらも、モーラは凶悪な笑みを浮かべた。領主は顔を真っ白にして震えている。やめてくれ、と言う言葉が繰り返され、ついにその言葉は、ごめんなさい、に変わっていた。

「要求したんだろう? 盗賊共に、子供がほしい、と」

 一言に盗賊と言っても色々いる。生きるために必要なものを盗む者、欲望のために盗む者、そして、他人に依頼されて盗む者――彼らの関係はどれか。それは、アドルとの話題にものぼったが、結論は出なかった。彼らは当事者ではないからだ。

「違うっ!」

 ヤムマルは涙目で叫ぶ。

「ミヒェルが持ってきたんだ! 喜んだら、もっといますよと言って、持ってきたから、買ったんだ。でも、高かったから、ウーヴェの話に乗った。仲介人がいなければ、もっと安く提供してくれると言ったからっ!」

 最悪の事態を免れようと、ぺらぺらと語り出したヤムマルを見て、こいつは小物だ、とモーラは判断する。確かに趣味は悪いが、現物さえなければ、妄想だけで満足していたのだろう。

 まぁ、現物があればやってもいいことではないが。

 癌は、向こうか……

 モーラは、今頃城の奥深くで、盗賊と対峙しているだろう少年を思う。

「……よし、連行しろ」

 モーラの言葉に、ヤムマルを捕えていた二人の兵士は、彼の両脇を持って立ち上がらせた。

「子供達は、広い部屋へ集めて食事を……仲間と一緒なら、少しはマシだろう。あと使用人は全員拘束するように伝えておけ。共犯者ではなくても、証言者にはなるだろう」

 モーラは、部屋にいる部下達へ指示を出してから、部屋を見回した。

 この後、城に関係する全ての者に話を聞き、この件に関する顛末をまとめる。そして、この後派遣されるだろう文官と共に、彼らの罪に対する罰を決め、新たな領主の選定を行う。つまり、完璧な事務処理だけが待っていた。

 はっきり言おう、苦手である。

「嫁さんは、優秀な文官がいいなぁ……」

 そうしたら、常に連れていって、苦手なことを手伝ってもらうのに。

 モーラは天を仰いで深く溜息を吐いた。




 ウーヴェ・ヴォール。


 その名をアドルは知っていた。

 それは、勇者と謳われた者の名前だった。ギルドに出入りしている吟遊詩人の歌を聞いた事がある。

 その詩人は、リュートの腕前は確かだが、歌は下手だった。力み過ぎて、空気ばかりが抜けている声。確かに刻むリュートの音より、わずかに低い音程。リズムがリュートにぴったりあっている事だけが救いだった。

 ひどい歌が紡いだ物語は20年ほど前の出来事だった。


 優秀な冒険者がいた。彼は特定のパーティを組むことはなかったが、彼を慕う冒険者が、彼の元に常に集まっていた。彼らは慕う者の力になりたがるので、彼は大規模な仕事もこなすことができた。大きな仕事をこなすと、更に名声があがる。すると、また彼を慕う者が集まってくる。そうやって、膨れ上がった非公式パーティに、ある日、彼らしかできないであろう仕事が舞い込んできた。


 山に住む、荒れた神の退治である。


 霊峰とも呼ばれる山に住む神が、荒れたのだ。そこは、山自体が信仰の対象になるようなところだ。当然、神の力も強い。

 荒れた神は、地中深くに溜まっていた毒ガスを噴射し、山に住むすべての生き物を魔物化させた。神の力で魔物となった動物たちは、麓で山の怒りに脅えている人間達を襲い出した。

 それに困った、魔の山と化した霊峰の麓を治める領主が、王経由で対魔物の専門家である冒険者へ依頼をしたのだ。

 すでに勇者と呼ばれるだけの名声を持っていた彼は、沢山の信奉者を率いて、霊峰へ入った。そして、一週間――四日後、彼らはその数を半分以下に減らして、再び人前に現れた。その手に、恐ろしい獣の首を持って。

 彼らは、荒れた神を倒したのだ。


 物語は、霊峰での戦いを熱く歌い、最後を「めでたしめでたし」で締めくくる。

 しかし、人の人生はこれで終わりではない。アドルは、この物語の後日談を調べた。

 それは、決して輝かしいものではなかった。

 神殺しの代償は安くなかったのだ。


 勇者は戦いによって一生残る傷を負った。毒の影響で体は歪み、戦いで負った傷により、自力で真っ直ぐ立つ事が出来なくなった。そのため彼は、冒険者としての第一線から退かざるを得なくなってしまった。

 人は残酷である。新たな物語を紡ぐ事が出来なくなった勇者の元から、信奉者は一人二人と減っていった。

 一方、冒険者として魔物を倒す事でしか生計を立てる方法を知らなかった男は、勇者と言われるほどの活躍で稼いできた金を、食いつぶして生きていくしかなかった。

 しかし、その金も遂には尽きる。

 かつて勇者だった男は、ギルドに借金を重ね、終いには追い出されたのだ。

 遂に、勇者はただ一人となってしまった。


 それから20年、ギルドの記録に、彼の名は出てこない。


 文無しとなり、信奉者も消え一人きりとなった男は、常に言っていたそうだ。

「金が、金が無くなったら、皆、俺の前から消えていった。金がないから、こんな貧しい飯を食わなくちゃならない――金が、ないから」

 本当はそうじゃないだけどね、と言ったのは、かつて彼の信奉者だった人だ。その人は、アドルが消えた勇者の事を調べていると知って、教えてくれた。

 勇者だ、英雄だと言われた時、確かに彼は羽振りが良かった。それに魅かれた人もいるだろう。だが、それだけではない。

「でも、彼はそれだけだと思ってしまったんだ――だから、私は離れたんだよ」

 今なら別の選択をしただろうけど。

 その人は、残念そうに呟いた。


 勇者は、まず、手っ取り早く金を稼げる盗賊へと、その身を堕とした。徒党を組み、簡単に金を得られる方法を得た盗賊は、更に金を求め、ついには人の道を外してしまった。

 アドルの中に、彼らのしてきたことへの、煮えたぎるような怒りは、確かにある。彼は許されるべきではない。アドルは、目の前にいる魔物の親玉を、一片の躊躇もなく『普通に』倒すと決めていた。

 しかし、それと同時に、哀しみもあった。


 ――勇者のなれの果て。


 それは、彼が勇者の素質ではなかった証明なのだろうか。

 それとも、勇者でも堕ちると言う、証明なのだろうか。


 アドルは頭を振って、自分の思考の中から脱する。

 多勢に無勢の時の作戦は、基本的に変わらない。頭を潰す。その一点に尽きる。幸い、元勇者で元盗賊の魔物は、その姿を堂々とアドルの前に晒していた。侮っているのかもしれない。それは好都合だ。

 アドルは剣を両手で構え直して、地を蹴った。周囲の空気が一瞬ざわついたが、雑魚たちが襲ってくる気配がない。完璧になめられているのだろう。アドルの挑戦に、ウーヴェは応じるようだった。

「その余裕、後悔させてあげよう」

「アドルちゃん、その台詞は悪者の方です!」

 舌なめずりをして呟いた台詞を、しっかりと聞いていたフェイスが間髪いれずに突っ込む。手慣れたものだ。

 アドルは下段から剣を振り上げた。醜く膨れ上がった右腕に、剣が食い込む。しかし、浅い――

 すぐに剣を抜いて間合いを取ろうとしたアドルへ、妙な形になった杖が襲いかかる。アドルは寝転ぶくらい低く体を沈める事で、横殴りの杖から逃れた。同時に剣をしっかり握り、左足を振り上げて、突き出た右肘を蹴り上げる。ウーヴェの腕が跳ねあげられ、食い込んだ剣が抜けた。傷口から噴き出す血の色が――黒い。

 アドルは体勢を整えようとするが、その前に鋭い鉤爪を持った左足が襲ってきた。剣を抱きかかえて、アドルは転がる事で避ける。転がりながら体を丸め、反動で素早く立ち上がった――ところで、何者かに両脇を抱えあげられた。

「アドルっ!」

 エドの焦った声が聞こえる。大丈夫だと答える暇はない。実際、大丈夫でもないかもしれない――大柄な何者かに抱えあげられて、小柄なアドルのつま先は、地面から離れてしまっている。

 仕方がない、とアドルは相手が屈強な体の持ち主である事を利用することにした。この手段は、自分の小ささを再認識してしまうので、やりたくないのだが……

 アドルは、彼を拘束する両腕を、逆にしっかりと握った。腕がぴくりともしない事を確認し、アドルは足を曲げて体を丸くする。

「せーのっ!」

 勢いをつけて、両足を体ごと前へと突き出した。余裕の態度で近づいてきたウーヴェの腹を、したたか蹴り飛ばす。

 蹴った時の反動で仰け反った頭が、拘束者の顎に当たった。固い顎は痛いが、それ以上にアドルの頭は相手にダメージを与えたらしい。うっとうめき声が聞こえて、拘束が緩んだ。その隙に、アドルは再び足を前へ突き出し、今度は体ごと前方へと飛び出した。よろけていたウーヴェに、再びアドルの蹴りが命中する。ついにウーヴェは後方に倒れこんだ。そのままアドルは魔物の胸へと着地を決め、両手をあげてポーズを決める。

 パチパチと拍手が聞こえる。バルコニーで傍観しているシリィのものだ。

 アドルは彼女に向かってにやりと笑って手を振ってから、すぐにウーヴェから離れた。先ほど拘束されていた時に手放してしまった剣を、悠々と取りに行く為に。その他大勢の魔物は、ウーヴェが意志を持たないと、単なるでくの坊だ。自ら意志を持ち、ウーヴェの為に動く六人の手下は、ボスを助けにやって来ない。その暇が無いのだ。

 ウーヴェが立ち上がるのを待ちながら、アドルは辺りの状況を把握する。

 打ち合わせなどしていないのに、彼は良く、作戦通りに動いてくれる。



 一対一かと思ったら、一対多数だったアドルとウーヴェの戦いを見て、エドは真っ青になった。

 屈強な男にがっしりと捕まったアドルは、絶体絶命に見える。慌てて助けに行こうと駆けだしたら、ぐいっと服を掴まれ、たたらを踏んだ。その目の前を、ひゅんと短剣が通り過ぎる。

 焦り過ぎて、彼らの存在をすっかり忘れていた。

「アドルちゃんは大丈夫」

 エドの服を掴んだフェイスが、自信満々でうなずく。アドルは信頼されているらしい。

 いや、それよりも『アドルちゃん』って……

「来ました」

 フェイスの大きな瞳が、前を見据える。エドは出かかった言葉を飲み込んだ。

 魔物の群れから現れたのは、マテーウスだった。彼の背後には、同じ班だった男達が虚ろな表情のまま立っている。

「お前たちは、俺らだ」

「わたしたちも、ですよ」

 そう言って、反対側から、意志を持った魔物が二人、現れた。若い女性と、ウーヴェの傍に常にいた、彼と同年代の男だ。エドは彼らの名前を知らない事に初めて気づく。必要がなかったから、覚えなかったのだ。

「頭領を助けなくてもいいのですか?」

 かまわんさ。と答える声には、自信と信頼が見えた。小僧一人と小娘一人に倒されるとは思っていないのだろう。

「それよりも、重要な仕事がある」

「裏切りものは、殺しておかないとな」

「……そこは、ブレないんだな」

 エドは苦笑する。見れば、反対側でも、三人の幹部が五人の冒険者を囲んでいた。彼らは、魔物化していない者を裏切り者とみなし、殺すつもりだ。彼らの『裏切り者』の定義からは、正しいかもしれない。盗賊団ならともかく、魔物の仲間には、誰もなろうとは思わないだろう。

「覚悟っ!」

 中年の剣士が、背負っていた大剣を振りかざす。振り下ろされた剣をがっしりと受け止めたのは、フェイスの棒だった。彼女は、うっと小さく声を漏らした。予想以上に、重い一撃だったらしい。棒を傾け、受け止めた刃を巧く滑らせて受け流す。

「フェイスっ!」

「わたくしは大丈夫です。残り二人を!」

 言われるまでもない。エドは懐にある短剣の数を確認して、一本抜いた。マテーウスが鞭を振り上げている。エドは、長さの予測が不可能な鞭を避けずに、短剣を投げ付けた。エドに照準を合わせていた鞭は、目標を変えて、短剣を落とすために振り下ろされる。その隙に、エドは一気に間合いを詰める。距離ゼロなら、鞭も使えまい。

 しかし、エドの技をそれなりに知っているマテーウスが、そう易々とエドに接近を許す訳がない。彼らの間に、素早い動きでナータンが割って入った。エドは彼を確認しても速度を緩めず、そのままナータンへ体当たりをした。細身と言っても背の高いエドだ。相応の体重を持っている。速度を持ったエドの体当たりをしっかりと受け止めるには、ソール並の体格と力が必要なはずだ。

 案の定、ナータンはエドの体当たりによって態勢を崩す。その隙を狙って、エドは足払いをかけた。彼は簡単に転ぶ。とりあえず、戦闘不能にするために、エドは膝を思いっきり踏み付けた。

 嫌な感触と音がする。人の膝は、方法さえ知っていれば素手で簡単に壊せるが、楽しいものではない。

 ウーヴェの人形と化した盗賊たちは、強度で言えば人間と大差はないようだ。ただ、彼らは痛覚が人間の頃よりも鈍くなっているらしい。戦闘不能に陥ると考えていたナータンは、痛みに頓着せず立ち上がろうとする。だが、かくんと片膝をついた。砕かれた膝で、立てるわけがない。たとえ、痛みがなくとも。

 ごめん、と心の中で呟いて、エドは立ち上がれないナータンを蹴り飛ばす。吹き飛んだ彼に目もくれず、エドは次に立ちはだかった二人へと、注意を移した。

 ソールの巨躯に、ナータンと同じ手段は通用しないだろう。魔法の心得がないエドにとって、アヒムの魔法は、厄介だ。

 二人への対処法として、エドはとにかく動くことに決めた。地面を蹴り、アヒムヘ向かって突進する。当然、呪文を唱えようとしていたアヒムを守るために、ソールが彼の前へ立ち塞がった。エドは構わず懐の短剣を取り出し、投げつけた。それはソールの脇を通り過ぎ、巨躯からわずかに見えるアヒムへと向かう。不幸な事に、アヒムからは死角だったのだろう。襲ってきた短剣にアヒムが気付いたときには、もう遅い。飛んできた短剣は、アヒムの腕に深々と刺さった。

 エドにとって予想外だったのは、それでも彼が呪文を止めなかった事だ。彼らの痛覚が鈍いのは、ナータンで知ったばかりだと言うのに! 人の形のままである彼らを相手していると、どうしても彼らが魔物である事を忘れてしまう。エドは、ソールの攻撃を横に跳んで避けながら、アヒムの動向を探る。ソールの影から見えたアヒムの口から流れる歌は、終わりの一音を紡いでいた。

 ヤバいっ!

 そう思った瞬間、エドは激しい光を感じた。慌てて眼を閉じたが遅い。エドの視界は純白で埋め尽くされる。頭までがチカチカする。何も見えない。

 エドは瞳を固く閉じて、再び横へとステップを踏んだ。そのすぐ後に、ソールの斧が通り過ぎる。着地した最初の足で地面を蹴って、エドはすぐに前進した。確実にソールの斧を躱し、迫り来るエドに、アヒムは細剣を突き出す。胴体の真ん中を狙ったはずの細剣は、エドの脇をかすめただけだ。エドは脇に突き出された腕を両手でつかみ、力一杯背負い投げた。受け身を取る暇がなかったアヒムが、大きく空気を吐き出す音が聞こえる。

「……眼潰しは、効果がないと言う事か」

 打ち所が悪かったのか、起きる気配がないアヒムを確認したエドは、マテーウスの声に顔を上げた。薄く眼を開いてみるが、まだ、視界はチカチカと光っている。至近距離で光源を見てしまったのだから、仕方がない。

「暗闇でも対処する方法を知っているだけだ」

 これも、アドルに言わせると『悲しい技術』の一つだ。視界ゼロでも、他の感覚を使って状況を把握する訓練を、エドはしている。そうしないと、生きられなかった時があった。

「本当に、惜しいな」

 意志を持つウーヴェの手下が、残念そうに呟く。いつの間にか、ソールの気配が遠のいていた。

「?」

「ソールも、お前の眼が元に戻る頃に潰されていただろう? なら、視力が戻る前に俺が相手したほうが、確実だ」

「…………」

 読まれていた。

 巨漢を殺さず、倒す方法を。

「優秀なのに、甘い」

 声に、嘲笑が混じる。それは自分でも分かっている。ナータンも、アヒムも、エドによって戦闘不能になっていたが、命までは奪われていない。エドが、あえて体術しか使わなかったからだ。

「武器を持て。俺は、雑魚どもと違うぞ」

「俺の得手が何か知っているくせに……」

 マテーウスが笑った気がした。エドが最も得意とする武器は、決闘に向かない。そもそも、近距離では物の役にも立たない。それを補うために得た技術は体術。後は、体中に仕込んだ武器を使った戦い方だから、武器を構える事自体が、無意味だ。

「ではいくぞ」

 ぴしっと皮が張る音がする。先ほど試みたように、接近戦も考えたが、止めることにした。伸縮自在な謎の鞭は、視覚以外の感覚だけで読み切る事は出来ない。エドはくるりと回れ右をして、人の林の中へと突っ込んだ。

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