勇者のための四重唱


渓谷の街 4

 東の山から日が昇る。谷は東西に走っているから、朝日と夕日だけはしっかりと浴びることが出来るのだ。筋状の雲がゆっくりと形を変えながら流れているが、空の大半はペンキで塗ったかのような青色。良い天気である。

 パーティは昼食をメインに行われる。広い中庭を使ったガーデンパーティらしい。天気が良いのは何よりだ。

 会場は領主の城ではなく別荘だった。領主の住む城のさらに上にあるらしい。これも、前領主の遺産だろうか。

 領主の館を迂回するように、山の上へと昇る道が続く。馬車が通れるほどの広い、なだらかな道が川を何度もわたりながら続いていた。山を登りきると、そこは予想とは違う風景が広がっていた。山の上が、山頂ではなかったのだ。平らな大地が広がっており、その先に再び山が続いていた。

「まさか、谷の上がこんなに開けているとは……」

 山の途中にいきなり現れた台地に整然と木が並ぶ。果樹園が広がっていた。

 道は、片手に街を見下ろす形で西へと進む。しばらくすると、石造りの城が見えた。領主の城よりも高さが無い。平屋の様だ。魔物避けに壁がぐるりとめぐらされている。正面に壮大な門があるが、それを避け、ベルドは反対側へと回り込んだ。

 入口に、持ち主の娘が待っていた。

 ナタリーの指定した当日の待ち合わせ時間は、パーティ開始時間よりも遥かに早い。にもかかわらず、表口はざわめいていた。待ち合わせが裏口で、正解だったようだ。

「…………お待ちしておりました」

 依頼人ナタリーが彼らをそう迎えたのは、しばらく沈黙したあとだった。笑ってしまうくらい、彼女は面食らっている。

「おかしいか?」

 ベルドは、自分の服を指して尋ねる。

「一応、場違いにならないようにしたんだが」

 ベルドはほとんど黒に近い色のスーツを着ていた。光の加減で青緑色にきらめく不思議な布地だ。

 隣のヒオリも、藤色のドレスを着ている。歳の割りには長めのスカートな上、袖も長くひらひらとしていて、全体的に露出度は低く地味なものだ。だが、そもそもヒオリのスカート姿が珍しいため、ベルドは落ち着かない。ドレスと同色のリボンで結い上げた銀色の髪は、リボンの残りとともに右目を隠すようにして流れ落ちている。この姿を見た時、ベルドは言葉を失った。リボンで右目が隠されている事に、違和感がないのだ。それゆえ、彼女の愛らしさが十二分に引き出されている。

 困る。

 可愛すぎて、困る。

 これらの服は、朝一番でフェイスが持ってきたものだ。まさか、パーティ会場にいつもの格好で行く気だったんじゃないですよね、と厳しい表情で言われてしまい、答えることが出来なかった。そのつもりだったからだ。

 そんなことだろうと、溜息交じりに彼女が二人に渡したのが、この服だった。

 ベルドの服は、ある老婆の息子が若い頃、お見合いで着たものでらしい。結果が良くなかったため、縁起が悪いと、その後袖を通すことなくお蔵入りしたとか。ヒオリの服は、ある老爺が孫娘の為に用意したものの、地味の一言で突き返されたものだ。袖を通さないまま捨てるのは勿体無いと、快く貸してくれたらしい。

 しかし、なぜ借り元が老人ばかりなのだろう。尋ねる間もなく着替えに急き立てられたので、聞き損ねてしまった。ヒオリは、フェイスに着付けてもらった。髪を結ったのも彼女だ。彼女の愛らしさ全開のこの姿は、フェイスの作品なのだ。

「気配り感謝します」

 ナタリーが微笑んで頭を下げる。

「すっかり失念しておりました。パーティで普段着は確かに不自然でしたね。とても、お似合いです」

 褒められて悪い気はしない。窮屈な服だが、しばらく我慢しよう、という気になった。

 ヒオリがきゅっと彼のスーツの端を引っ張った。


 ベルド達は、ナタリーの案内で裏口からこっそり別荘に入った。貴族の館や別宅は、この国では『城』と呼ばれている。確かに、木で作られた家殆どの中、石造りの建物の存在感は、城と言っても遜色ないくらいだ。

「入り口に受付があって来訪者を確認していますが、中に入れば誰も、どこの誰なのか、気にしません」

 城の住人が言った。

「招待のある人だけの集まりですが、誰が来るか知っているのは、父と甥くらいですから」

「あなたは?」

「……知りません」

 硬質な音が返ってきた。

「そういう采配を、父は自分の甥に任せたんです…………あの愚物に」

 ヒオリが再びギュと彼のスーツの裾を握る。これは嫉妬ではない、恐怖だ。そのくらい、ナタリーの声は激しく、だが静かだった。

 しかも、彼女はその人物を『父の甥』と言った。自分の『従兄弟』と言わずに。

「従兄弟との間に、何かあるな」

 ヒオリにだけ聞こえる声量で呟くと、彼女はベルドの袖にしがみついたまま、コクコクと頷いた。


 裏口から屋敷を抜けて中庭に出た。屋敷内で通った道は、炊事場だったのだろう、優雅さを感じない、現実的な喧騒が聞こえてきた。

 庭への出口の前で、ナタリーはいきなり足を止めて振り返る。

「荷物や武器ですが……」

「持ってきていない」

 ベルドは両手を広げて、自分が手ぶらであることを示す。ヒオリもだ。この格好にこの無粋な武器はないと、フェイスに言われたからだ。持っていくのなら、仕込んでください、と。なので、ナタリーの目には、丸腰に見えるはずだ。

「……みたいですね。あるようでしたら、別室に置いて頂きたかったのですが」

 またお気遣いありがとうございます、と彼女は言って、今度こそ二人をパーティ会場に案内した。

 慌ただしい音がする城内を抜けると、別世界が待っていた。

 まず目に入ったのは、この国の庭園に多い噴水と小川。ガーデンパーティが主な利用目的なのだろう、植木や花は壁側を彩るだけで、大半は芝生の広々とした空間だ。綺麗に刈られた芝生に、白いテーブルと椅子が並べられている。噴水の前に長机と四脚の椅子があった。ここが主役とその家族の席なのだろう。

 客の席は決まっていないらしい。皆、好きなところに座っている。だが、大半はまだ立ったままで、周りの人と談笑していた。

 その様子を見て、ベルドはフェイスに感謝した。たしかにこの場にいつもの格好で武器を持っていると、目立つだろう。客たちは皆、青空と緑に映える美しいドレスを着ていた。

「すみません。わたしは色々とやらなくてはいけないことがあるので……」

 彼女は招待側だ。雑事も接待もあるだろう。

「適当に探るよ」

「ひとつだけお願いが」

「他の奴らに不審がられない様に、だろ? そのくらいは空気読むさ」

 依頼主が求めるのであれば。

「流石、パーティに相応しい格好で仕事に来て下さるだけありますね。よくわかっているようで」

「ま、まあな」

 愛想笑いを浮かべながら、内心で再びフェイスに感謝する。格好一つで、えらく信頼されたものだ。

 ヒオリがスーツを引っ張った。ほめられて、でれでれしていると思われたらしい。


 二人はふらふらと会場を巡る。参加者は壮年が多いが、若者も少なくない。親子で来ている者が多いのだ。次代同士の交流の場でもあるようだ。

「…………なんで、あの人がここに居るんだ?」

 ベルドは、ある若者に目を奪われる。庭の正面口の受付だ。

 そこには二人の若者がいた。一人は長身の男だ。ベルドと同じくらいの年齢だろう。ヒオリよりも混じり気の無い銀色の髪を、一つに結わえていた。髪を結う濃紺のリボンに違和感がないのが不思議である。色男だからだろうか。

 問題はもう一人の受付である。

 紅い髪を持つ大柄の女性だ。ベルドより少し年上で、肩と胸元を露出させた、深緑のドレスを着ている。露出度が高いのに全く色気を感じないのが、逆に凄い。

「バイトの事務員さん……」

 そう、彼女は彼らにこの仕事を斡旋した、ギルドのバイト事務員だった。彼女の言った『野暮用』が、この受付の仕事なのだろうか。それとも、これもまた暇だったから請けたバイトなのか。

 暇と言えば、ベルド達の協力者であるアドルとフェイスも暇だから、と言っていたな、とぼんやり思いながら、ベルドは受け付けの様子を眺める。

 二人は忙しく来訪者を迎えている。パーティが開始するまでまだ早いのに、入口には受付を待つ為の列が出来ていた。別に受付の手際が悪いのではない。客がたくさん来ているようだ。

「パーティ開始まで、まだ時間があるのに、みんな早く来るんだね」

 ヒオリが驚いている。確かにそのとおりだ。

「それはね、主賓が来る前までが、彼らにとって重要だからだよ」

「…………」

 彼らはいきなり声を掛けて驚かすのが好きなのだろうか。ベルドは、溜息をつきながら、振り返る。予想通り、暇な協力者、アドルとフェイスがそこにいた。

 フェイスは灰色と桜色の薄い布を組み合わせたドレスを着ている。昨日はまっすぐ垂らしていた髪を、綺麗に結い上げていた。アドルは、くすんだ浅葱色の軍服のような形の服だ。ヒオリですらドレスを着ているのに、アドルはドレスを着ていない。ヒオリの言った通り、アドルは『彼女』ではなく『彼』なのだろう。だがベルドは、どんなに目を凝らしても男装の令嬢にしか見えない。

「どうやって入って来たんだ?」

「正面から」

「なぜ?」

 その答えは、ここにいる者としては当然の回答なのだが、冒険者としては違和感だらけだ。

「そんなの、招待されたからに決まっている」

「どうして?」

「そりゃ、私はこの国で冒険者を長くやっているんだから、多少の伝手はあるよ」

 伝手。そういえば、ベルド達の衣装を調達したのも伝手だった。このパーティの出席者名簿を入手したのも、招待状を手に入れたのも、伝手なのだろう。おおかた、旅の途中か仕事かで知り合った貴族か何かに、協力を仰いだのだろう。

「で、招待客が早くから来ている理由は、知りたい?」

 アドルは、話を元に戻した。

「知りたいっ!」

 素直なヒオリが、元気に答える。アドルはヒオリの反応に、満足そうに頷いた。

「主賓が登場して、パーティが始まるまでの時間が、交流の場なんだ。パーティが始まれば、主役メインで物事は進んでいくからね」

「それまでに、友人と語り合ったり、誼を通じたい人と仲良くなったりするんです。あと、噂話や情報の交換ですね」

「成程」

 ベルドは辺りを見回す。確かに、周りの人々は色々な人と話をしているようだ。アドルが来る前には語り合っていた人たちが、今は別々の人と談笑している。

「今のうちこそが、聞き込みのチャンスと言う訳か」

「そういう事」

 アドルがにやりと笑う。可愛らしい顔には似つかわしくないのに、彼にはよく似合う笑みだ。器用なものである。

「パーティが始まる前に、犯人を見つけ出したい。二手に分かれるぞ」

「四人でぞろぞろ動く理由もないね」

 ベルドの提案に、アドルは頷いた。

「私はベルドと組もう。フェイスはヒオリと」

「え」

「問題、ある?」

 ベルドは、いいや、と首を左右に振る。アドルの言った組み合わせは、理に適っていた。

 ここで、自分とヒオリ、アドルとフェイス、とするのがチームワークと言った面では妥当だ。だが、ベルド達はここを知らなさすぎる。対してアドル達は、少なくとも自分達よりこの国を知っている。それに、ここで必要なのは、様々な視点だ。従来のパーティを敢えて崩すことで、一つの情報に複数の観点を得ることが出来る。情報収集には、チームワークよりそちらの方が重要だ。

 それに、ヒオリがアドルの事を男だと言うのであれば、二人でいても嫉妬することはないだろう。自分とフェイスが組むよりも、まだマシだ。

 彼の言っていることは、妥当だ。だが……

「ベルドと一緒じゃないの?」

 予想通り、ヒオリは不満と不安をを隠さない。引き離されてなるものか、とヒオリはベルドの腰にしがみついた。彼女が自分から離れたがらない理由を、ベルドは知っているから、引き離せない。

「なんで?」

「限られた時間で、最大の効果を得るために必要だから」

 アドルはそう言って、この組み合わせにした理由を説明する。理由は、ベルドが察した通りだった。

 しかし、ヒオリの持つ感情は、理屈を通さない。

「ベルドと一緒でも、ちゃんと効果出すよ!」

 更に強く抱きしめて、紅の瞳でアドルを睨み付ける。

 ヒオリの主張は、彼女を知る者としては納得出来るだけの理由を持っている。が、仕事をする者としては、わがまま以外の何者でもない。

 両方の主張が痛いほど理解できたから、ベルドは何も言えなかった。

 アドルは、大きな溜息をついて、頭を振った。

「この仕事は、誰の仕事?」

「ボク達……」

 アドルとフェイスは、この仕事を直接請けたわけではない。依頼人に対する責任は、ベルドとヒオリが負う。

「私達はね、協力はするけど、君達以上の成果を出して仕事を喰う気はないんだ」

 四人で固まって会場を回っても効率的ではないし、何より目立つ。手分けするとして、ヒオリの望むように分かれれば、土地勘があるアドル達のほうが有益な情報を得ることができる。少なくとも、アドルには、その自信があるのだろう。

「何より」

 アドルは続ける。

「会って一日の私達がもたらした情報を鵜呑みにするのか、君たちは? いちいち裏をとる時間はないよ。そこは、断言しよう」

「うぅ~~」

 ヒオリは上目遣いでアドルを睨みながら、唸る。彼女にとって、アドルの理屈は納得出来ても、受け入れることができないのだ。

 それが分かったのだろう。アドルは再び大きな溜息を吐いた。

「ヒオリ、君は、君の意志でベルドに依存している」

 彼は、濃い青の瞳をまっすぐヒオリの隻眼へ向けた。その眼差しは、静かな夜の湖面のようだが、一石投じた程度では揺るがない強さを持っている。

「だから、自分の意志で、その手を放すことも出来るんだよ」

 その瞳に宿る感情が、哀しみである事にベルドは気付く。彼は哀しい瞳で、ヒオリが自分の意志でベルドの手を放すことを願っている。そうできることを、祈っているようにすら見える。切実に、だ。

 なぜ?

 この件は、アドルがそんなに乞い願うほど重要なことではない。ヒオリのわがままを、通そうと思えば通せる程度だ。

 彼の主張の中にはきっと、もっと別の願いがある。

「離せない」

 しかし、ヒオリの答えは素早く、単純で、頑なだった。

「……なら、仕方がないね」

 アドルは静かな声で言い、視線を逸らした。側でヒオリがほっと息を吐く。彼が諦めたとわかったからだ。

「行くよ、フェイス」

 アドルが自分の仲間を呼びながら、ベルド達に背を向けて歩きだした。彼が怒って帰ってしまうのではないかと思い、ヒヤリとする。

「アドルちゃん!」

 フェイスも同じことを思ったのだろう。彼女の焦りが混ざった呼びかける。

「仕事はするよ。プロだからね」

 アドルは背を向けたまま答えた。『プロだから』の一言に、ヒオリがビクリと震えたのが分かった。婉曲に、彼女のわがままを責めているのがわかるからだ。

「アドルちゃん」

 フェイスが再び仲間の名を呼ぶ。少し、硬い声で。

「苛め過ぎです」

「理屈が通じない者へ説得する言葉を持っていないだけだ」

「……しょうがないですね」

 アドルのきつ過ぎる言葉に、フェイスが苦笑する。

「本当に、正論で生きていると言うか、なんというか……」

「悪かったね」

 フェイスはアドルの不機嫌な声を背に、ベルドたちの前に立った。アドルに代わって説得するつもりだろうか。

「ヒオリちゃんは、わたくしとでは嫌ですか?」

 フェイスが、腰を屈めてヒオリに聞いた。大きな瞳で、ヒオリを覗き込む。

「そ、そういう事じゃないけど……」

 その質問が、あまりにも飛躍していたため、ヒオリは戸惑った。抱きしめる力が弱まる。

 ベルドには、彼女の質問の意図が分かった。理攻めでダメだったヒオリに、情で攻めるのだ。この質問は卑怯だが、情に訴えかける手段として効果的だ。ここで、嫌だ、と言えるようなら、ベルドの愛するヒオリではない。

「わたくしは、ヒオリちゃんと一緒に行動できるのは、嬉しいです」

「う……うん。ボクも、嫌じゃない。でも……」

 でも、ベルドと離れるのは嫌だ、と言わんばかりに、彼女はベルドへと視線を投げる。そんな不安そうな表情をするな。わかっているから。

 ベルドはそっと頭をなでる。多分、アドル達の意見は正しい。少しずつ、ヒオリはベルドから離れないといけないのだ。

「では、わたくしとベルドさん。ヒオリちゃんとアドルちゃんにしますか? 背格好がちょうどいいので、それはそれで絵になりますね」

 素晴らしい卑怯者だ、フェイス。

 ヒオリの「ベルドと離れたくない」という主張に全く沿っていないこの提案に、ヒオリは今まで以上に激しく反応した。

「やだ! なら、フェイスさんと行く」

「では、そうしましょう」

 解決、とばかりにフェイスはぽんと手を打つ。

 なんということだ。

「では、行きましょう。ヒオリちゃん」

 フェイスは本当にうれしそうに笑いながら、彼女を誘う。一緒に行動できることが嬉しいのは、本当らしい。

「ベルド……」

「期待している」

 勢いで答えてから、不安に襲われたのだろう。縋るような目で彼を見つめてくる。

 ベルドにできることは、背中を押してあげることだけだった。



 ヒオリは、ベルドにパーティ会場の客に色々な話を聞くようにと言われた。

 いつも片手でつかんでいた服の裾が無いのは、心細い。彼と離れる恐怖だってある。だが、彼に期待している、と頭をなでられたことで勇気とやる気が出た。一介の冒険者として、彼の手を放ち、冒険者として一人前の仕事をしようと思えた。

「どんな話が聞きたいですか?」

 よしっと一人でこっそり気合を入れていると、フェイスが尋ねてきた。

「ボク、誰がどれなのか、わからないんだ」

 あと、代わりに一緒なのがフェイスで良かった。さっきのアドルはちょっと怖かった。

「そうですね。では、挨拶をして回りましょう」

 そういって彼女は歩き出す。ヒオリはフェイスの後を追いかけた。

 会場には、綺麗な服を着た人たちがたくさんいる。こういう雰囲気をヒオリは知っていた。この雰囲気は、ヒオリの恐怖を呼び起こす。話し声が罵声に、笑い声が嘲笑に聞こえてくる。彼女にとって、貴族の社交場のとは、そういうものだった。

 一人でいるのがどうしても怖くて、ヒオリは慌ててフェイスのドレスの裾を握った。フェイスは一瞬琥珀色の目を見張ったが、すぐに柔らかな笑みを浮かべて、ドレスの端を握るヒオリの手をそっと握った。

 フェイスの手は怖くなかったから、ヒオリは彼女の手を握って、横を歩くことにした。


「あら、可愛い子達。姉妹?」

「みたいなものです」

 フェイスの手を握ってパーティ会場を歩いていたら、空色のドレスを着た藍色の髪の女性が、声を掛けてきた。くすんだ朱色の髪のふくよかな女性と、灰に近い茶色の髪の大柄な女性も寄ってくる。この三人はずっと小さな丸テーブルの前でおしゃべりをしていた。

 ヒオリは反射的にフェイスの腕の後ろに隠れる。

「娘さんのお友達?」

「いいえ」

 フェイスが涼しい顔で答えた。

「付き添いです」

 その一言で、婦人は納得したらしい。しかし、一体誰の付き添いなのだろうか。

「こういうところは、はじめてかしら?」

 婦人たちの問いに、フェイスは目でヒオリを促した。自分が答えるところらしい。

「は、はじめて、です」

 ヒオリは人見知りする質ではない。なのに緊張しているのは、覗き込む三人が貴族だからだ。貴族は、怖い。特に、弱いものを平気でいたぶることが出来る貴族は、本能でわかる。

 幸い、彼女たちはそこまで怖くなかった。なので、ヒオリは隻眼を真っ直ぐ彼女たちへ向けることができた。

「緊張しているのね」

「そんなに緊張しなくてもいいわ。ここの領主だって、初めての貴族のパーティだもの」

 優しい声で、ふくよかな婦人と大柄の婦人が語りかける。

「でもね、貴族のパーティと言っても、貴族の方が少ないのよ」

「貴族はどなたがいらっしゃるのですか?」

 フェイスが尋ねる。出席者リストを持っていたのだから、知っている筈なのに。

「この川沿いに領地を持つ、わたくし達の三家と、あとはそれらを統治する伯爵家のご夫妻だったかしら」

 リストにあった。この町を流れる河の上流に一つ、下流に二つ、貴族の治める領地がある。下流の二つは、ヒオリたちがここに来る間に通った街だ。地図では、この川沿いにはその四つの街しか記されていなかった。

「ここの上級領主は、フィルマン様ですよね」

「あら、よく御存じね」

 貴婦人たちは、驚いたようだ。

「では、これは御存知?」

 ふくよかな夫人が、茶目っ気たっぷりに聞いてくる。

「伯爵夫人と、前領主の噂」

「イザベルっ!」

 小さな声で、灰茶色の髪の女性が、ふくよかな女性をいさめる。しかし、その青い瞳は輝いていた。

「だって、ミレッラ……」

「なんですか、その『噂』とは?」

 フェイスも、綺麗な高い声を潜めて聞いた。大きな琥珀色の瞳が、輝いている。

「仕方がないわね……」

 ミレッラが諦めたように溜息を吐いた。

「止める気はないくせに」

 最初に話しかけてきた、藍色の髪の夫人が笑う。

「ヒルデうるさい」

 ミレッラは近所の領主夫人に文句を言ってから、フェイスへと向き直った。

「一年前、前領主はヴィクトル様に不正を告発されて、失脚したのはご存知?」

 ご存知である。街の誰もが語りたがるから。

「その不正の動機が、アンリエト伯爵夫人」

「えっ!」

 ヒオリとフェイスはそろって驚きの声を上げた。

「あの二人、男女の関係だったのよ」

「ええっ!」

 ヒオリはさらに驚く。

 それが、三人の貴婦人にとって嬉しかったらしい。

「そうなのよっ!」

 三人は声を揃えて言ってから、われ先にと自分たちの情報を披露し始めた。

「伯爵夫人と前領主はデキていたの。お互い家庭があったから、不倫よね」

「しかも、前領主のベタぼれ」

「美しい伯爵夫人に貢ぐために、不正を働いて金を集めたのだとか」

「アンリエト様は、確かに美しいもの」

「しかも、魔性の女」

「相手は、前領主だけじゃないの」

「少年から老人まで、噂が絶えないお方なのよ」

 そんなに。

 ベルド一筋のヒオリには理解できない。

「それで、旦那様は……」

 ヒオリは、おそるおそる尋ねる。

 夫人の浮気。それに気づき激怒する夫。その怒りは、大体彼に仕えるものにぶつけられるのだ。理不尽な暴力を思い出して、ヒオリは血の気が引いた。

「何も」

「なにも?」

「なにも、していないのよ。驚いたことに」

 確かにそれは、驚く。

 驚いて、気が抜けて、その場にへたり込みそうになるくらいだ。

「とことん鈍くて、気付いていないのか」

「気付いていても、とにかく器が大きくて、許しているのか」

「そんなことを気にしている暇がないのか」

「どれだと思われますか?」

 フェイスがすかさず尋ねた。

「気付いていない」

「絶対。賭けてもいいわ」

「あの、無頓着な惚気っぷりを見れば、すぐにわかるわよ」

「フィルマン様も、ベタ惚れなのよ」

 不思議よね、とミレッラが言うと、そうよねと、二人は揃って頷いた。

「確かに美しい方だけど、どこがそこまで魅力的なのか、私にはわからないわ」

「顔じゃないの? 男って馬鹿ですから」

「ねぇ」

 今度は三人で頷きあった。

「……そうなんだ」

 ヒオリは、上目づかいでフェイスに尋ねる。ベルドもそんな馬鹿な男なのだろうか。

 フェイスは、意味深に微笑むだけだ。


 女五人でコソコソ噂話に興じていると、辺りが急に騒然としてきた。何なのだろうとヒオリが顔を上げると、彼女の正面にいるイザベルが教えてくれた。

「噂の伯爵夫妻よ」

「ヴィクトル様もいらしたわ。お出迎えね」

 ヒルデが反対側を指し示す。城から中庭に入る大きなバルコニーに、枯色の髪の、貧相な中年が、金糸をあしらった豪奢なスーツに着られていた。これが街の英雄、ヴィクトル男爵らしい。

 噂の『英雄』の、英雄とも貴族ともかけ離れた姿にヒオリは驚く。彼は男爵だと言うが、全然怖くない。ヒオリの世話をしてくれた奴隷の世話役のおじさんに雰囲気が似ている。

「驚いているわね、お嬢ちゃん。彼は始めて?」

 笑みを浮かべて、ヒルデがヒオリを覗き込む。至近距離で貴族と目が合って、ヒオリは反射的に、露骨に視線を逸らしてしまう。

「執事の方が長いから。一年前までは、見かけに似合った、貧乏な街の貧乏執事だったのよ」

 彼女は、ヒオリの態度全く気にしていないようだ。こっそりと、安堵の息をつく。

「肩書きが変わっても、やっている事は変わらないんじゃない」

「まだ一年目だもの。そう簡単に、それらしくはならないわよ」

 そもそも、とヒルデが言う。

「誕生パーティだなんて、『貴族らしい』催しを開いた事自体、驚きよ」

 わたくしも、と彼女の言葉に同意したのは、イザベルだ。

「主人も言っていたわ。誰が言い出したのかって」

「発案は、領主さんじゃない?」

「そんな発想する人じゃないわね」

 ヒオリの問いに、ヒルデが断言した。他の二人も、彼女の意見を後押しするかのように、二度も頷いた。

「執事頭時代の彼を見ればわかるわ。とにかく地味、そして、堅実。ふわふわした前の領主の統治でも街が破綻しなかったのは、地に足の着いたあの人がいたからよ」

 彼女たちは、領主として、貴族としてのヴィクトルは知らないが、彼自身を知らないわけではないのだ。

「では、発案は誰だと思います?」

「分からないわ」

 ヒルデは苦笑を浮かべた。

「家臣団で、前領主に媚びへつらっていた派手好きの者達は、みんな逃げ出したらしいからね。今のティリア領主の周りには、地味なのしかいないの」

 彼女達が知る、執事出身の領主とその人脈に、該当する者は居ないらしい。

「なんで、このパーティを開く気になったのか、謎よねって話していたのよ、わたくし達」

 確かにそれは、謎だ。気になる。

「……彼女かもね」

 低い声で言ったのは、イザベルだ。

「彼女?」

「ヴィクトル様の後ろにつき従っている、あの女」

 ふくよかで柔らかなイザベルにしては、悪意の籠った言い方だった。

 彼女の示したのは、領主の背後に付き従ってきた若い男女のうち女性の方だ。隣の青年よりも背の高い女性。

「ローゼ・エッケナー」

 あぁ、と二人の夫人も納得したような表情になる。

「誰?」

 ヒオリの素直な問いに、三人は声を揃えて答えてくれた。

「前領主の、娘」

 ヴィクトル・ブリュイエールの慈悲によって、生活を送ることが出来ている哀れな女。

 大人しそうな態度をとっているが、あの派手好きな前領主の娘だから、こういう事をさらりと言いだすに決まっている。

 彼女たちの言葉に籠った悪意があまりにも強くて、ヒオリは思わずフェイスの後ろに隠れてしまった。


 パーティ主催者である領主は、にこやかというほどには愛想が良くない表情で、上級領主を迎えていた。背後にいた、小柄な青年と、前領主の娘も彼らに挨拶をしている。領主の娘であるナタリーがいないのが、ヒオリは少し気になった。

 領主たちに対するのは、ベルドよりも背の高い半白髪の男性と、レモン色のドレスを着た中年の女性だ。くすんだ青と白の交じる髪の男は、成る程、偉そうだ。立っているだけで、逃げ出したくなるような威圧感がある。

 レモン色のドレスが、噂のアンリエト伯爵夫人なのだろう。確かに、綺麗な人だ。品のある柔らかな笑みの中に、話にあったような女性像は見えない。

 そう見えないのは、もう一人の女性にも言えた。前領主の娘は、大柄だが大人しそうな人だ。パーティだからそれなりの格好をしているが、それでも、華やかとか、派手といった言葉に当てはまるようには感じなかった。正直な話、彼女もこんなパーティを提案するようには見えない。現領主の娘であるナタリーの方が、よほど華やかである。

 もっとも、ヒオリは、自分に人を見る目がそれほどあるとは思っていないが。

 伯爵夫妻は、注目を浴びる中、ヴィクトル男爵と、彼の横にいるよく似た青年に案内され、噴水の正面の席に着いた。ヴィクトルが短く何かを言い、一礼する。伯爵夫妻は鷹揚に頷き返した。

 領主達がその場を後にしようとした時、二人に若い男が彼らの前に現れた。その姿を認めて、三人は足を止める。

「え?」

 ヒオリは現れた二人を見て、隻眼を見開いた。

「ベルドと、アドルさん!?」

 ここで彼らが現れる理由が分からない。情報収集にしては大胆すぎる!

 ヒオリは戸惑いの声を上げながら、横にいるフェイスに何かを訴えようとした。フェイスは混乱するヒオリに優しい笑を浮かべてみせた。

「彼らは、アドルちゃん達にお任せしましょう」

「いいの?」

 何が良くて、何が悪いのか分からないが。

「大丈夫です。わたくし達は、他の方たちのお話を聞きましょう」

 そう言って、差し出された手を、ぎゅっと握る。

「このパーティの言い出しっぺを知っている人を探しましょう。悪意のある推測ではない、ちゃんとした証拠を」

「あっ!」

 ヒオリは少し嬉しくなった。フェイスも同じところが気になっていたのだ。

「こういう話は、領内の有力者の方が詳しいと思います」

 彼女は優しくヒオリの手を引く。ベルドと手を握っていた時と違って、彼女が引く手は柔らかい。ベルドのこの手についていけば何も恐くないと思わせる力強さとは違う。一緒に歩くホッとする手だ。

 ヒオリはにこにこと笑って、彼女の横に並んだ。