勇者のための四重唱


少年剣士と貴族の坊ちゃん 2

 暦の上では秋だと言っても、秋分前。まだ、木々の緑は濃く、日中の日差しは強い。だが、緑の森に吹く風は既に匂いを秋色に変えていた。見上げた空は、遠く、青が濃い。山と同化するようにわき出ていた雲は姿を消し、薄い筋のような雲が風でたなびいている。ここは緑が深い山中だが、開けたところに出れば、山の稜線が遠くにはっきりと見えるだろう。

「いい天気だ」

 エドは空を見上げて呟く。森を埋め尽くしていた蝉の音は消え、鳥の声がよく聞こえる。遠くから、気の早い鈴虫やコオロギの声も聞こえてきた。

「虫の音が聞こえだすと、秋が来たって感じるね」

 エドの隣で、アドルが秋風を感じて目を細める。カルーラの秋は短い。この白露から秋分を経て寒露に至る間に、一気にやってきて、一気に去り行く。その短い期間に木々は針葉樹までもが色付くのだ。霜降となれば、本当に霜が降り初める。

「山は下りだけど、紅葉が楽しみだな」

 短いが、それだけ濃縮された秋は、目を見張る物があった。外を歩くと、それがよく分かる。山を登って行けば、秋の進行は更に早い。今回は下りだから、山を降りきるまでは、秋と追い駆けっこになるだろう。

 いつもよりも歩を緩めて、エドとアドルは歩く。目を細めて耳をすませば、リーリーと鈴虫の声が聞こえた。幼いころ、森の中で虫の音に聞き入って、そのまま寝てしまったことを思い出す。

「遊びつかれて、休んで虫の音を聞いているうちに、寝こけたことがあったね」

 同じ時を過ごした幼なじみは、エドと同じことを思い出していたようだった。

「気が付いたら夜で、慌てて家に戻ったけど、ドゥーシャ母さんに怒られた」

「おまえに言ったっけ? あの後、そんな素敵な演奏会に、なんで連れて行かなかったかって、また怒られたんだぜ」

「え、そうなの? 初めて聞いた」

 アドルがエドを見上げる。

「そうだ。だから、次の年から母さんがついて来たんだ」

「なるほどね」

 アドルはくすくすと笑う。アドルの笑いに誘われるように、虫の音が響き始めた。

 ――と、その時。

「疲れたぁー休もー」

 別の音で、虫の音がかき乱された。あ、と思った時には、アドルの眉間にしわが寄っている。

「なぁ、足痛い。休もうよ。動けない」

「さっき、休んだばかりじゃないか」

 シリィが苦笑する。

「もう少し、頑張ってください」

「フェイス、さっきも同じこと言った。もう少しって後どのくらい? 後何歩? 何刻? 月がどれだけ満ち欠けするくらい?」

 ミロはついに立ち止まった。もう動かない、とばかりに地面にしゃがみこむ。

「つかれたー! つかれたー!」

 子供特有のかん高い声に、虫の演奏会が消える。辺りはミロの叫び声だけになった。

「アドルちゃん……」

 フェイスがミロの傍らで困り果てた視線を向ける。アドルは、子供の世話を、慣れているフェイスとシリィに任せていた。

「アドル、どうする?」

 エドは、薄氷のようなアドルの機嫌を伺うのが、役目だ。そう、自ら位置付けている。子供に直接当てるには、アドルの怒りは性質が悪い。慣れているエドが緩衝材となる覚悟だ。

「単なるわがままだ。もう少し歩く」

 それだけ言って、アドルは歩きだした。

「やーーーー!」

 それを見て、ミロが奇声を上げた。アドルが再び足を止める。

「うるさいっ!」

「じゃあ、休もうよ。疲れたよ」

「なら、帰るか? そんなに歩いていない。ボースにいるクルルの所までなら、負ぶってやってもいいよ、お坊ちゃま」

「やーーっ!」

「なら、歩け」

「やーーだーーーー」

「多少頑張ってでも先に進まないと、泊まる場所がないぞ」

 どうだ、という顔で、アドルがミロを見下ろす。ミロはぴたりと口を閉じた。

「どうせ、野宿だろ? どこだっていいじゃん」

 再び開いた口から出た言葉は、小憎たらしいほど冷静だった。流石のアドルも呆れた。

「どこでもよくないから、先に進んでいるんだけど……」

「やーー。休むーー」

「…………」

 再び叫び出したミロに、アドルは口を開いて、何も言わずに息を吐いた。

 アドルが言いたいことは、分かる。ここで言っても無意味だと言うことも。文句を言うなら、叫んで暴れれば言うことを聞くと刷り込んだ、ミロの周りにいる大人達に対してだ。

「叫ぶ体力があるなら、歩け」

 言葉で諭す事を諦めたアドルは、低い声でピシャリと言って、ミロに背を向けた。

「あっ……アドル、行くなよっ!」

 ミロの声を、今度は全く無視した。

「やーーーーーーーーーーっ!!」

 アドルの態度が気に入らなかったのか、ミロは再び奇声を上げる。

「おい……」

 いいかげんにしろ、と言おうとして、エドは言葉を止めた。背筋がひやりとする。

 いやな予感がした。

「おい、アドル」

「やーーーーぁだーーーーやーーーーーーーー」

「…………」

 アドルは、三度足を止めた。

 しかし、ミロに相手をするためではない。

 彼も気づいたようだ。わずかに腰を落として、剣に手を掛ける。視線だけを一周させ、前へと定めた。いやな気配は前から来ていると、判断したのだ。

 一方エドは、ずっと前方の一点を睨みつけている。わざわざ振り返らなくても、周囲の気配をかぎ分けることくらい、エドには朝飯前だった。アドルはエドほど気配に聡くないのだ。

「魔物かい?」

 前二人の様子に気づいたシリィが、訊ねる。彼女たちは、アドルほど気配に敏感ではない。アドルは視線を定めたまま頷いた。

「前方に――」

「四つの殺気」

 エドは感じた気配の数を答えて、数歩下がる。彼の獲物は、接近戦に向かない。

「なぁーーーーーーっ!!」

 シリィ達よりも遥かに鈍いミロは、まだ叫んでいる。

「聞けよっ! おいっ!!」

 それでも、冒険者達が自分を見なくなった事には気づいたのだろう。フェイスの裾を引っ張る。

「ミロ、静かに」

 フェイスがミロの口をそっと抑える。ミロは反射的に撥ね除けて、なにをするんだ、と叫んだ。フェイスはそれを無視し、彼の肩を掴んで自分の胸元へと引き寄せる。子供の護衛はフェイスの役割だ。彼女が子供の扱いに長けているからだけではない。彼女なら、万が一敵が襲ってきても、それを撥ね除けることができる力をもっているからだ。それ以上に、彼女の持つ回復呪文は、最悪の事態を防ぐ、最後の砦だった。

 フェイスに抱き抱えられたミロは、嫌がって抜け出そうとした。当然だろう。この年頃の子供は、異性に触れることがとても苦手だ。

「静かにしないと、抱き締めますよ」

「…………」

 既にミロを抱き締めているフェイスの、おかしな脅しは、効果覿面だった。ミロは顔を赤らめて、口を硬く結ぶ。ようやく静かになった。そう胸をなでおろす間もなく、前方の薮が激しく揺れた。


 ミロの声に誘われ、前方の薮から飛び出したのは、低い山に多くいる熊の魔物だった。世界の輪の中に組み込まれても凶暴な熊の力は、魔物になると想像を絶する。しかし魔物は、その力を発揮する事はなかった。

 薮から魔物の姿が完全に現れるのと、アドルが剣を抜き放つのと、どちらが早かっただろうか。ひゅん、と風を斬る音がする。それと同時に、熊の出てきた薮の葉が舞い散った。

 状況を把握する前に、熊の魔物が、どうと音を立てて倒れている。

「お見事です」

 フェイスがミロの頭上でつぶやく。凶暴な熊の魔物は、一刀で倒されていた。

「今夜は熊鍋だ」

「馬鹿言っているな」

 剣を振るった方ではない左腕を回しながらの軽口に、エドは呆れながら弓を引き絞った。続いて現れた熊の魔物の眉間に、矢が突き刺さる。それを確認する前に、もう一矢。それは、喉に命中した――が、浅い。倒すには至らなかった。

 魔物が痛みで醜い絶叫をあげる。太い腕をがむしゃらに回し始めた。

「二匹は食べ切れない」

 アドルはそう言って、抜き放った剣を握り直して踏み込む。目の前に迫る腕をかわして、懐に潜り込んだ。小柄なアドルだからできる芸当だと褒めると、彼は怒る。

 敵の懐でアドルは剣を両手で持つ。低い位置から飛び上がるようにして斬りつけた。彼はそのまま、腕を振り上げた魔物の脇を、風のように通り過ぎて、背後へと離脱する。熊の体によってアドルが視界から消えたのと同時に、魔物の絶叫が途切れた。

 崩れ落ちた魔物の背後から、止めを刺したアドルの姿が現れた。

 アドルは背を向けていた。片手に持った剣をぶら下げて、上空を見ている――やはり、そうか。

「アドルっ!」

 エドは叫んで矢を放つ。同時に音が耳に入ってきた。女性の艶やかな歌声だ。エドに理解することのできない音は、鋭い風を呼んだ。カマイタチだ。アドルを襲おうとしていた残りの二匹が、矢に射られ、あるいはカマイタチに切り裂かれて、墜落する。羽根がアドル身長くらいある怪鳥だった。

「ありがとう」

 アドルは剣に付いた血を払いながら、熊に戻った魔物を飛び越える。今のところ、別の魔物が来る気配はない。

「鳥肉は不味そうだ……」

「鷹を食べる習慣はないねぇ」

「たとえ鶏でも、食わねぇぞ」

 エドは溜息を吐く。舌の肥えたアドルは、言葉だけで実際に食べる事はないと思うが、言わずにはいられない。死ねば、魔物は元の姿に戻る。なので、人が食べる習慣のある動物なら、食べることができない訳ではない。だが、不味い。古くなって傷んだ肉の味がする。本当に食に困らない限り、口にしたくない代物だ。


「さて」

 馬鹿な会話を打ち切って、アドルは剣を鞘に収めた。すたすたと歩いて、フェイスの前まで行く。正確には、彼女に抱き抱えられた、ミロの前だ。

「すっげぇ……」

 先程の戦いを、フェイスの腕の中で見ていたミロの瞳は、キラキラと輝いている。

「すげぇ、強い! 格好良い! 何、あのびゅんって剣? 速過ぎだろ。あ、返り血付いていないって、どういう仕組みだ? 」

 腕から身を乗り出して、感動をそのまま言葉にする。流石剣の国の貴族様だ。幼いながらも剣の心得がある。それ故、アドルの技術に興味を示し、感嘆していた。

「一刀目のヤツ何? なんで、鞘から出して構えないの? どこの流……」

 ごつん。

「ってぇっ!」

 興奮して、フェイスの腕の中で騒ぐミロの頭を、アドルは拳骨で殴った。

「っ! 何するんだよ!?」

「うるさい。懲りろ」

 静かな低い声で言って、アドルはきびすを返した。四体の哀れな動物の死骸を一瞥して、彼はそれらを通り過ぎる。

「おい、待てって、アドル」

 エドは、慌ててアドルを追った。

「さっさと、この場から離脱する」

「……分かってるって。だから少し待て」

 エドの落ち着いた低い声に、ようやくアドルの歩調が緩んだ。エドはふぅと溜息を吐く。

 シリィと目が合った。彼女は、苦笑していた。


「さあ、行きましょう」

 フェイスは腕からミロを解放して、彼を立たせる。

「アドルは、なんでいつも怒っているんだ?」

「怒っている訳じゃないんです」

 フェイスはくすくすと笑う。感情の起伏がいつもよりも素直になっているだけで、彼は別に怒っている訳ではないと、フェイスは思っている。

「ただ、急いでここから離れないといけないんですよ」

「なんで?」

「死の匂いに釣られて、魔物がやってくるからね」

 いつの間にか、シリィが傍らに立って二人を見下ろしていた。

「え、そうなのか?」

「そうだよ。大変だろうけど、もう少し頑張るんだね」

 彼女の言葉はいつも通りぶっきらぼうだが、少し優しい。フェイスほど扱いに慣れていないだけで、子供は好きなのだ。子供は、シリィの不器用な優しさを感じるのだろう。同じ素っ気ない態度でも、アドルよりシリィに懐く。

 戦いの興奮で疲れを忘れたのだろう。ミロは、うん、と元気に返事をして立ち上がった。


 ボースからチェルトラ方面へ行く、最短の道は、あまり利用されていない。

 山向こうの東側へ行くよりも、山を下って西側の聖都へ行く人の方が圧倒的に多く、道も整備されているからだ。物好きと、腕に覚えのある者、そして急いでいる者以外は、チェルトラへ行くにも聖都方面の道を使って山を下り、湖沿いを東へと向かう。遠回りだが、楽で安全だからだ。

 物好きで、そこそこ腕に覚えのあり、時間を惜しむ冒険者は、直接ボースからチェルトラへ向かう道を選ぶことが多い。逆に、彼らが歩くから、道は道であることを保たれていると言って良いだろう。寂れた道を使うことにより保持するのは、一般人より強く、兵士よりも自由な冒険者の仕事のひとつだった。

 アドル達も例に漏れず、近くて険しい道を使う予定だった。その予定は、子供が一人増えたからと言って、変えられるものではない。良い道を使うと、時間がかかる。次の予定に間に合わないのだ。

 冒険者と急ぎの者しか通らないこの道に、宿場町は存在しない。一日分歩いた距離に、野宿ができそうな空間があるくらいだ。

「なんとか、間に合ったな」

 人の居た痕跡が残る広場で、エドはほっと息を吐いた。魔物が出たり、子供がごねたりと、今日は野宿場所までたどり着けないと思ったからだ。

 開けた場所のほぼ中央に、焚火の跡がある。小川が流れ、川の反対側には、親切なことに竈も用意されていた。竈の灰は乾いていて、ふっと吹けば、軽く飛んだ。新しい。どうやら、前日にも利用者がいたらしい。

「結構集まるのかな」

 エドの様子を背後からのぞき込んでいたアドルが、つまらなさそうに呟く。

「ボースから奥の街にも、冒険者は少なくないだろう?」

「金に釣られたか、人の血を欲したか……」

「せめてそこは、愛国心とでもしておけよ」

 カルーラに生まれ、カルーラを愛し、カルーラを守るために、冒険者になった人がいても良いと、エドは思う。しかし、アドルはその言葉に顔を歪めた。

「愛国心? 気持ち悪い」

「おまえが言うか? 貴族様」

「『私』だから言うんだよ……」

 疲れたように言い返して、アドルは竈の前にしゃがみこむ。傍らに用意してあった薪を組み始めた。

 見回せば、シリィが中央の焚火跡で焚火の用意をしていた。器用に組まれる木の棒に、ミロが目を輝かしている。

「無理すんなよ」

 右手でぽつぽつと木を組むアドルに、立ち上がったエドは声をかける。

「左腕」

 エドは己の二の腕を右手でたたいてみせた。アドルは目を見開いてエドを見上げる。

「ミロは重たかったか?」

 二頭目の魔物を倒した後、剣をだらりと降ろしていたのは、油断したからではない。両手を使った時、想像以上に左腕が痛かったからだ。視線はしっかりと残りの魔物に向いていたから、エドは分かった。

「……最初に引っ張られた時、抜けたかと思った」

「熊をやすやすと両断する腕が、子供が引っ張った程度で?」

「不可抗力には弱いんだ……すぐ痛みが引くと思ったのに」

 アドルは右手で小枝を放り投げる。

「フェイス……は駄目か。湿布あるから、貼っておけよ」

「分かってる」

 アドルは苦笑した。その頭に、エドはぽんと手を置く。柔らかすぎる猫っ毛が、汗で少し湿っていた。

「のんびり竈でも作っていろ――フェイス」

 フェイスは荷物を置いて槍を背負い、カゴを手にしていた。

「行くか?」

 そういうエドは、弓矢を携える。今晩と明朝の食料を調達するのだ。

「はいっ」

 彼女は元気に立ち上がった。


「少し戻ったところに、ブドウがなっていました」

 来た道を戻りながら、フェイスが言う。

「鹿がいた跡もあった」

「不用心な鹿ですね」

 フェイスの鹿に対する感想に、エドは苦笑する。豊饒の秋があっと言う間に過ぎ去るカルーラだ。冬に備えて食糧を蓄えるのに、動物はなりふり構っていられないのだろう。危険を承知で人里まで降りてくる動物も少なくない。

「ブドウは帰りでいいな?」

 エドは、歩きながら見つけた鹿の痕跡を示して、フェイスに聞く。そこには皮が一部はがされた木があった。見える肌の様子から、皮が剥がされて間もないことが分かる。その高さから、どんな動物が、この皮を剥いで行ったのかが、分かる。フェイスに示すのはそれだけだが、エドはきちんと鹿の足跡も捕らえていた。

「行くぞ」

「はい」

 音もなく薮へ分け入るエドを追うように、がさがさと音がする。フェイスは、音を消して歩くのが苦手なのだ。



 空が赤い。秋独特の夕日はもう姿を消しているが、日が暮れるにはまだ早い。

 カルーラは南以外を山に囲まれている。そのため、空が明るくなってから日が上がるまでと、日が落ちてから空が闇色に染まるまでの時間が長い。

 長い黄昏の中、獣道をエドとフェイスは歩く。エドほど上手くないが、フェイスも獣道を歩くのには慣れた。

 野宿時の炊事は、二人の仕事だった。食材の確保から。

 フェイスは普通に料理ができる……たまに失敗するが、まぁ、それをカバーする能力もそこそこある。エドの野外料理は絶品だ。おいしいものが好きなアドルが、この二人を料理係に充てるのは当然の話と言っていいだろう。因みに、アドル当人の料理は――何というか、微妙だ。不味いという訳ではない。だが、決しておいしくない。本人いわく『少々』と『適量』が問題なのだとか。なので、きっちり分量を量るお菓子は得意だった。シリィの料理をギャンブルだ、と言ったのは、エドだ。当たれば絶品だが、外せば食べ物を超越した味になる。

 消去法でも、エドとフェイスが食事係になるのは当然だった。

「アドルちゃん、かなり疲れていましたね」

「やっぱりわかるか」

 エドの歩き方は魔法のようだと、フェイスは思う。どんな悪路でも決して音を立てないのだ。

「ミロがいるからでしょうか?」

「いつもの事だろ。いつまでたっても体力だけがつかない」

 狩りは、別にエドとフェイスである必要はない。いいところのお坊ちゃんらしいが、アドルは森に慣れていた。目聡くおいしい木の実や草木を見つけ、エドほどではないが弓矢やナイフを操る。それでもアドルが留守をするのは、彼に体力がないからだ。野宿の場所へ辿り着いた時点で、狩りが出来るほど体力に余裕があったことはない。そもそも、余裕があれば、もう少し先に進む。

 このパーティの進行ペースは、アドルなのだ。

 本人は、女性二人よりもひ弱な自分を気にしているし、体力をつけるための努力をしていないわけではない。だが、体質の問題だろう。どんなに頑張っても体力だけがつかない。

「気の毒です」

「それ、本人に言うなよ」

「わかっています」

 フェイスは頷いた。心からの同情を、彼は嫌う。それくらい、知っている。知っていて、エドにだけこれを言う。エドがアドルを慮る言葉が、フェイスは好きなのだ。

 彼は、優しい。

 基本女性にやさしいが、それ以上に、アドルにやさしい。可憐な女の子のようなアドルを気にかけるエドと、それを嫌がりながらも享受せざるを得ないアドルを眺めるのは、フェイスにとって、至上の時間だった。


 フェイスは、物語が好きだ。

 実家にいた頃には、書庫の小説を、神殿では神殿の図書室にある小説を読み漁った。神殿では、読書友達が出来たほどだ。正確に言えば、「読書友達」は表向きの姿。本当は、図書館の一室で、大好きな物語に対して広がる空想を語り合い文章にしたり、実際の伝説、目上の神官たちの関係などを自分の好みに脚色をしたりする仲間だ。

 決して、神殿にはばれてはいけない、禁断の遊び……

 その趣味は、冒険者になってこのパーティに来てから遺憾無く発揮できるようになった。

 アドルが、勇者を、そして物語を求めるからだ。

 フェイスは依頼者が求める事柄から、自分の好きなように物語を考える。それを実現するための作戦を、アドルが立てる。それは、とても楽しい仕事だった。

 アドルに誘われて良かったと、心から思う。

 それ以上に、このパーティに入ってよかったと心から思ったのは、1年後だった。エド。アドルの幼馴染の、黙っていれば騎士のような色男がやってきた時だ。

 デコボココンビの幼馴染。信頼し合う、気のおけない二人。だが、理由は知らないが、一緒に居なかった2年間の空白が、時としてすれ違いも生む。そんなアドルとエドの関係は、気を抜けば、見ているだけで別世界へと飛んでいくほど、フェイスの求める物語に近かった。

 フェイスは男女の恋物語も好きだが、自分には体験し得ない男同士の友情物語も大好きなのだ。

 ただし、これは心の中だけで作る物語だ。絶対に、外に出してはいけない事であるとわかるくらいには、分別はある。外にはださないから、空想――いや、妄想か――くらい許して欲しいと、二人に言えないから、心の中だけで乞うのだ。

 神殿のお姉さまの様に、男の友情を愛情に昇華させないだけマシなのですから――と。


「いた」

 エドの呟きで、フェイスは我に返った。思わず胸の前で組んでいた手を外す。

 琥珀色の大きな瞳を前方へ向けると、エドが素早く弓矢を取り出していた。弓に矢をつがえて一呼吸して、矢を放つ。鋭く弓が鳴った。結果は見る間でもない。

 獲物を狩っても、エドは喜ばない。無言で草木を分けて前へと進み始めた。慌てて追って肩越しに覗けば、横たわっている鹿がいた。思ったより小さい。

「小鹿ですか?」

「だな」

 鹿の前にしゃがんだエドへ、フェイスは槍を差し出す。エドは荷物の中から縄を取り出し、受け取った槍に器用に小鹿を結びつけた。とりあえず、ひらけた場所まで運ぶのだ。ここで何かをするには、薮が深すぎる。

 エドが一人で持ち上げようとする槍の片方を、フェイスは取った。

「重いから、手伝います」

「……肩に担いだら、小さいフェイスのほうが重いぞ?」

 重みは低い方へ行く。フェイスとエドは拳一つ以上肩の高さが違った。

「道に出るまででしょう? そんなに距離はありませんから、大丈夫です」

「じゃあ、お願いする。前、頼んでいいか」

「はい」

 フェイスは返事をして、槍の片側を担いだ。エドが彼女の動きに合わせたのだろう。鹿を結びつけた槍はひょいと持ち上がった。立ち上がっても、思ったより重くない。エドが、自らの身を屈めて高さを調節しているのだ。彼は、こういうことが自然に出来る。

「行くぞ」

「はい」

 フェイスはエドに返事をして、歩きだす。三度ほど道を訂正されながら、道に出た。獣道は、来た道を戻るのも難しい。

 野宿する場所で、獲物を捌く事はしない。獲物の血が放つ死の臭いで、魔物が寄ってくるからだ。

「ここで下ろそう」

 人の道に出てしばらく進んだところで、二人は足を止めた。二人は声を掛合い、獲物を槍とご地面に下ろす。エドが、うーんと、唸って腰を伸ばした。

 道は斜面に対して、ほぼ垂直に走っている。上り斜面側に、道に沿って水が流れていた。血が洗い流せる。エドはナイフを取り出し、器用に狩った子鹿を捌き始めた。フェイスはそっと祈りを捧げる。自分たちのために犠牲になった若き鹿へ感謝するために。本当は、エドの手際が良すぎて、フェイスはそれ以外何もすることがないだけなのだが。

「アドルちゃんは……」

 小柄な鹿を更に小さくしていくエドに、フェイスは声を掛ける。肉の部分だけを切り出して、持ち帰るのだ。それは、今日の夕飯になり、燻製にすれば明日以降の食料にもなる。

「なんで馬車という選択をしなかったのでしょう」

「馬車?」

「クルルさん達がミロを乗せた馬車を使えば、西回りでも間に合う気がしたのですが」

「……そういえば、そうだな」

 エドの中に、その選択しはなかったらしい。

「ミロは聖都に住む貴族の子です。山道は慣れていません」

「あいつが、馬車という手段を考えなかった……は、考えられないな」

 はい。とフェイスは頷く。失礼だが、彼はエドと違う。

「だからと言って、我が侭を言うミロへの嫌がらせに徒歩を選択するとは思えない」

「そうなのですか?」

 アドルには、手段の為に目的を選ばない、厄介な悪戯っ子の面がある。

「弱い者いじめはしないだろ、あいつ。それに、笑いのない嫌がらせはしないぞ」

「――あ、そうですね」

 誰一人として楽しむことが出来ない悪戯は、悪戯と認めない。

 そう言っていたのを思い出す。彼にとって悪戯の定義は、自分を含む誰かを楽しませる事なのだ。

「つらい山道を貴族の坊ちゃんと歩くだなんて、坊ちゃんは大変だし、その面倒を見る仲間も大変だし、アドル自身だって、決して愉快なものじゃない」

 エドはアドルを、本人が思っている以上に知っていると、フェイスは思う。鹿を淡々と捌きながら語るエドを見て、顔が緩みそうになるのを、必死にこらえた。

「なにか、理由があるんだろう」

「理由、ですか? 何だと思います?」

「さぁ?」

 エドは首をかしげて、肉を小川に投げ込んだ。肉から出てきた赤い筋が、川の流れに翻弄されて不思議な模様を作り出す。エドが小川の前にしゃがんで、肉を洗い始めた。フェイスはその横に並んでしゃがみ込む。

「アドルちゃんの意図を読むのは難しいです」

「……実は、俺も」

「エドもそうなのですか?」

 フェイスは驚いた。

「あいつ、わかんねぇよ……2年離れていたら、もっと不可解になっていた」

「……そうなんですか」

 エドに理解できないのなら、フェイスに理解できなくてもしょうがない。

 フェイスは、エドと並んで鹿の肉を洗い始めた。


 流れる血の紅が作る文様が、何となく不快だった。

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