勇者のための四重唱


せかんど らいふ 4

 か細い音が聞こえる。

 次の瞬間、目の前の毛皮が凍りついた。動きの止まった魔物へ、セバスチャンは力いっぱい剣を叩きつける。鶏を絞める時に似た感触がして、魔物の首が切断された。大きな毛玉から長く首が伸びて、その先端の小さな毛玉に顔がついていた魔物は、鶏大の鳥の姿に戻る。

「ふぅ」

 セバスチャンは腰を叩きながら伸びをして、当たりを見回した。ぶんとギルベルトが振った大剣が小さな魔物を複数薙ぎ払ったところだった。地面に水が散る。アールの剣が、毛玉を両断すると、木の葉が舞い散った。素早い動きで、ニコが魔物を翻弄し、刺すような蹴りで、ユーリウスが、魔物の隙を突く。

 今、襲ってきた魔物は、これで片付いたようだ。

「やっぱすげーわ、じいさん」

 投げた短剣を拾いながら、ニコが感嘆する。反射的にセバスチャンはニコを睨みつけてしまい、自省した。これは無礼なのではない、と三回心の中で呟く。幸い、彼はセバスチャンの視線に気づかなかったようだ。

「おう、そうか?」

 ギルベルトはまんざらでもない様子だ。

「剣圧だけで水を斬るか、普通? しかも、このでっかい剣で、こんなひょろひょろとしたじいさんが」

 ニコは、乾いた地面にできた水の染みを蹴る。地面に染み込まなかった水が、小石と一緒に撥ねた。

「なかなか、驚きだろう?」

「ああ」

 ニコは素直に頷く。ニコの後ろで、アールがこくこくと頷いていた。

「だが、お主らも凄いな」

「何が?」

「ここにきて、めきめきと腕を上げておる……若さの特権かな?」

「そんなに、上がってる?」

 実感がないらしい若者へ、上がっているとも、とギルベルトは太鼓判を押す。

「ここにいる魔物は、街道でお主らが苦戦していた奴より、ずっと強いぞ」

「あの草の塊が?」

「……まあ、あれは斬れば散るが」

 ギルベルトは苦笑する。

 アールが斬った木の葉の塊も、ギルベルトが薙ぎ払った水滴の魔物も、特別珍しい魔物ではない。町中に現れる事もある。驚きはするが、一般人でもどうにかなる程度の魔物だ。台所に出た水滴の魔物を、パニックを起こした主婦が踏み潰したとか、庭師がそれと知らずに木の葉の魔物を切り落としたとか、そういう話もあるくらいだ。

「必死で背伸びをしている時は、本当に大きくなっていることに気付かないものだ。今は、一生懸命精進するが良いさ」

 ふと立ち止まった時に、驚くのだ。自分の歩いてきた道の長さに。かつての自分の青さに。それこそが、成長の証しである。

「うーん。じいさんの言うことは、なんか説得力があるな」

「年の功だ」

「自らそう言われると、一気に説得力が無くなりますけどね」

「む……そうか」

「ギル様、皆さん」

 会話が弾んでいるところ申し訳ないが、セバスチャンは低い声で仲間を呼んだ。

「また、来ました」

 言う前に、ニコが気配を見つけて、鋭い視線を投げる。アールが剣を構えた。こういう所作を見れば、確かに彼らは成長しているとわかる。若さゆえの成長力か。羨ましい限りである。

「キリが無いな」

 呟くギルベルトの声に、飽きが見えた。

「逃げるぞ」

「え?」

「はい?」

「何で?」

「あ、あ? あっ!?」

「……はいはい」

 ギルベルトは、敵に背を向け逃げ出した。来た道を戻る事なく、前へ逃げるあたりが、憎たらしいまでに冷静な逃亡である。

 一方、若者たちは、ギルベルトの気紛れな転身に、思考がついて行かないようだ。

「はいはい。上です。行きますよ」

 テオフィルの背中を押して、セバスチャンは促す。

「魔物は?」

「雑魚を相手にしても、キリが無いでしょう?」

「た、確かに」

 素直に育ったらしい若者は、セバスチャンの言い分に納得した。ギルベルトの後を追いかけるために走りだした青年たちの背を見て、セバスチャンは心の中で苦笑する。

 魔物退治に飽きたから逃げただなんて、考えもしないんだろうな……

 アール達は、背の高い老人を、いつのまにか慕い、尊敬し、憧れているようだ。勇気と冷静な判断力をもつ人物だ、と。それをあえて幻滅させる必要も無いだろう。セバスチャンも、自分の主が慕われ、尊敬され、憧れになるのは、うれしいし、誇らしいのだから。


 身体能力において、人は同等の大きさの動物に適わないことが多い。そんな動物の魔物とは、比べるのも失礼だ。人が魔物に勝てるのは、身体能力以外のモノで勝るからに過ぎない。つまり、障害の無い道を追いかけっこして、逃げ切れる訳が無いのだ。人の気配を嗅ぎ付けて襲って来た魔物と、逃げるギルベルト達の距離は、確実に短くなっていた。

「セバスさん、殿は俺が」

 一番素早く動けるのに、あえて速度を緩めてセバスチャンが来るのを待っていたユーリウスが、言う。ちらりと後方を見たら、思ったよりも魔物が近くにいた。自分の鈍足に気付いて速度を緩めてくれたユーリウスに感謝だ。

「そ、それは助かります。お、追い、つかれ、た、ら。一緒に、お願いします」

「無理しなくていいですよ。俺は結構余裕ですから」

 小柄で、ずんぐりとしたセバスチャンは、しなやかな豹のようなユーリウスのように、速く走る事はできない。年老いたセバスチャンは、若く体力の充実したユーリウスのように、余裕がない。

「そこの祠へっ!」

 体力の限界が見えてきた時、ギルベルトの年老いても凛とした声が響いた。

 顔を上げれば、ギルベルトのすぐ後ろに、小さな祠があった。ギルベルトの後を追っていた若者たちが、次々と入る。

「セバスじーさんっ! 気張れっ」

 ニコが入り口に残って、息が切れているセバスチャンを励ます。そう……無礼だが、いい奴なのだ、ニコは。

 言われなくても、と荒い息の中で呟いて、セバスチャンは、走ることに専念する。申し訳ないが、背後は彼のすぐ後ろを走るユーリウスに任せるしかない。


「とうちゃーく!」

 ニコの軽い声と当時に、セバスチャンと、ユーリウスが小さな祠になだれ込む。祠に入るなり膝をついてしまったセバスチャンの肩を、ユーリウスが、ニコが、ポンと叩いた。労りと、健闘を称える、若者たちの合図だ。

「ハハッ」

 なんだか愉快になって、セバスチャンは、荒い息の中で笑い声を上げる。

「体力が落ちたな、セバス」

 祠の壁に寄り掛かって、ギルベルトがセバスチャンを見下ろしていた。わずかに上がった唇が、セバスチャンをからかう気満々である事を示している。

「そりゃ、事務仕事が多かったですからね。雑用に走り回っていた昔のようには、いきませんよ」

 セバスチャンは、主の足元へ腰を下ろし、改めて祠を見た。

 祠は人が5、6人入れる程度の、木造建だ。建物は小さい割には頑丈で小綺麗だった。山へ登る者の休息所と安全祈願を兼ねているのだろう、奥には、小さな祭壇が安置されている。そこには、旅人の安全を見守る神の名が書かれていた。他になじみのない神々の名が幾つか。この土地固有の神だろか。シイ山の神かもしれない。

「儀式などで山に登る者の休憩所だろう。ここでも何等かの儀式があるかもしれんな」

「そんな感じですね」

 お邪魔します、とセバスチャンは祭壇に向かって手を合わせた。


「魔物は?」

 祠の入り口から外を伺うアールとニコに、ギルベルトが訊ねる。

「祠には寄れないみたい」

「見ろよ、諦めて去って行くぜ。カミノゴカゴって奴か?」

「……そのようだな」

 成程、とギルベルトは何かに納得したように頷く。

「ニコ、お主、少々偵察に行かんか?」

「偵察ぅ~?」

 ニコが、思いっきり顔をしかめた。

「実は、この山のどこに、目標の魔物がいるのか知らなくてな。ちょちょっと行って、探ってきてほしい」

「……こんなに魔物がいるんですけど」

 不満げな表情を浮かべているが、村でちゃんと話を聞けば良かったじゃないか、と今更文句を言ってこないあたり、彼らは潔い性格のようだ。

「気配を消して歩くくらい、訳無かろう?」

「うっ」

 ニコは言葉に詰まった。後ろでユーリウスが笑い声をあげる。

「実は、苦手なんだよな、ニコは。俺の方が、忍び足はうまい」

「なら、二人で行ってきてほしい。そっちの方が、心強かろう?」

 にやりと笑う。挑発しているのだ。

「じ、じいさんはどうなんだ!」

「儂は、正面突破は得意だが、隠密行動に長けておらん」

 ギルベルトは、控えめに断言した。長けている、いない以前に、全く出来ないじゃないか、とセバスチャンは、心の中で呟く。

 彼の主は、存在を主張する術は天下一品だが、逆に存在感を無くす事については、素人以下なのだ。簡単に言うと、とにかく、目立つ。

 存在感の無さ、気配を絶つ巧みさで言えば、一日の長があるのはセバスチャン自身だ。

「……ワタクシも行きますか?」

「セバスのじーさん、出来るのかよ?」

「失礼な」

 セバスチャンは憤ってみせる。

「そちらは私の分野です。体力の低下は否めませんが、若造には負けませんぞ」

 胸を張った。場内のあらゆるスキャンダルを陰で見つけ続けて40年。『執事は見た!』というシリーズの半分事実の物語が、物語を作るのが好きな使用人によって、できるくらいなのだ。因に、ひそかな自慢である。

「なら、ニコとセバスで行って来い。セバスなら、儂が求める情報くらい分かるな」

「お任せ下さい」

 ようやく整った息で、セバスチャンは丁寧に答える。

 まだ、不安そうなニコに、私が先に出ますから、10数えてから出てくださいと言って、セバスチャンは先に祠から出る。百の言より一の事実だ。


 10秒後、セバスチャンはニコの不安を十分に拭い去る事に成功した。


 ニコとセバスチャンの、縦も横も、年齢までもがデコボコなコンビは、道から一本入った道無き場所を進んでいた。道を失わないように、視界に必ず道が入る程度の距離を保つ。気配を消し、足音を消して歩けば、魔物は人に気付かないようだ。臭いは、森の緑が消す。

「やっぱり、あった」

 四半刻ほど歩いたところで、セバスチャンは目的の物を見つけた。

「何が?」

 ささやかな呟きを聞いた、ニコが問う。セバスチャンは太い腕を持ち上げて、一方を指さした。

「また、祠ぁ?」

「とりあえず、入りますか。疲れました」

「本当に、体力無いのな」

「貴方に『じーさん』と呼ばれるだけは、ありますよ」

「ギルのじーさんは、規格外だな」

「……それは、否定できませんね」

 暇があるとは思えなかったが、暇を見つけては体を動かしていたギルベルトが、老人として規格外なのは、確かである。セバスチャンだって、同じ年代の中では元気すぎる方なのだ。

 二人は祠に入った。木造の小屋だ。やはり奥に祭壇がある。書いてある神の名前も同じだった。

「……神のいる神殿まで、同じくらいの間隔で祠がありそうですね」

「あと二つで、本殿ってトコか?」

 祭壇を覗き込みながらニコが言う。

「何か見つかりました?」

「これ」

 ニコが示した方を見る。祭壇の奥、中央上部に古ぼけて読みにくくなった額があった。目を凝らして見れば『参ノ祠』と読める。今まで一つしか祠を見ていないのに『参』と書かれているのなら、神殿に近い方から数えていると考えてもいいだろう。

「あん時はよく見なかったけど、下の祠が『四の祠』だったら、確実だな」

 同じように考えたらしいニコが、一人で納得したように頷く。

「んで、戻る? 行く?」

「戻りましょう」

 ニコの問いに、セバスチャンは迷わず答えた。

 定期的に休憩する場所があるのであれば、進むのに問題ない。祠は魔物に対する結界として、ちゃんと作用しているからだ。ただ、先へ進む度に、次の祠の様子を確認する必要があるだろう。この祠が無事だからといって、次の祠も無事とは限らない。祠の結界が壊されているかもしれないのだ。

「んじゃ、じーさんの息が整ったら、出発だな」

「…………」

 労りとからかい、割合は良くて三七と言ったところだろうか。

「もう少し、年上に対する態度をなんとかできないのですか?」

「年上?」

 声を低めたセバスチャンを、ニコは鼻で嗤った。

「敬語を使えばいいのか? 手を取って山道を登ればいいのか? 一番風呂を譲ればいいのか? ……仲間に? それって、失礼じゃねぇの?」

「!」

 セバスチャンは、驚いて目を見開く。

「やれって言えばやるけどさ……」

「いや」

 そういう考え方も、ある。

 年齢を、身分を越えた対等の仲間。ギルベルトとセバスチャンには、もう築けない種類の絆。

「あなたが正しい」

 だからと言って、そこに思いやりや、敬意がない訳ではないのだ。現に彼は、貧相なセバスチャンの体力をからかいながらも、彼の体力に合わせて動いてくれているではないか!

「駄目ですね、年を取ると頭が固くなる」

「年のせいなのか?」

 ニコが驚いて声を上ずらせた。

「どういうことです?」

「標準装備だと思った」

「…………」

 無礼に聞こえるのは、図星だからだ。腹が立つのは、それを受け入れることができないセバスチャンの器の小ささなのだ。

 ――そう思うことにした。


 ギルベルト達が待つ祠へ戻ると、案の定『四の祠』と書いてあった。ギルベルトに次の祠と額に書かれた名前の事を報告すると、やはりな、と答えが返ってきた。やはり彼も、次の祠があると予測していたのだろう。セバスチャンが意見を述べると、彼は同意した。

「儂もそう思う。やはりセバスは、儂の求める情報を、きちんと持ってくるな」

「何年付き合っていると思っているんですか」

 言いながらも、嬉しさは隠せない。何十年一緒でも、それが当然となっても、主と意見が合うのは、嬉しいものだ。

 じいさんがじいさんに褒められて、子供のように喜んでいると言うニコの軽口も、気にならない。

 我ながら単純だというのは、重々承知だ。


 セバスチャンが予想した通り、山道にはほぼ等間隔に祠があった。単純な割り算なら、最後の祠は山の八合目にあたる。日はまだ高かった。魔物と戦ったり、祠で休んだりしても一刻もかかっていない。日帰りにちょうどいい山だ。

「最後の休憩所とみていいだろう」

 『壱の祠』と書かれた額を見ながら、ギルベルトは言う。アールが生真面目な表情でうなずいた。休憩を取ろうと、それぞれが床に腰を下ろした。今までの休息に比べて、だれもが緊張していた。ユーリウスが、拳の保護にと手に巻いた布を変え、テオフィルが蜜入りの飲み物で喉を潤している。アールは、魔物の血で汚れた剣を取り出して、顔をしかめる。

「もう、刃がないよ」

 なけなしの金で買ったのであろう。彼の安物の剣は、限界のようだ。鍛治屋に研ぎを頼んでも、新しい剣を薦められるだろう。ギルベルトも、自らの大剣を取り出す。アールの剣と違い、ボースの武器屋で一番高かった剣は、整備さえちゃんとすれば、まだ当分使えそうだ。刃は欠けておらず、刀身はまだ輝いている。鋭い刃に己を写し、ギルベルトは何かを考えていた。

 セバスチャンの剣は、そう汚れていない。若者たちの成長が目覚ましく、どんどん彼の出番がなくなるのだ。もともと荒事が苦手なセバスチャンは、出番を取られて悔しいとは思わない。むしろ、若者たちに対して、頼もしさを感じていた。

 セバスチャンは、祠の窓から外を見た。全ての祠に共通することで、存在する一つの窓からは、必ず山頂が拝める。

 休火山であるシイ山は、最初から木々の背丈が小さい。木々が若いのだ。五合目を過ぎたころ、木は人を隠す手段とはなり得なくなった。八合目であるこの周辺は、木が絶えている。白い砂利や岩。そして、その間から健気に芽を出す草がところどころに見えるだけだ。

 ここから見える山頂に、直線で構成される不自然な物体があった。恐らくあれが、神の住まう神殿なのだろう。

「なんだ、アール。悲惨な状態だな」

 ユーリウスの落ち着いた声が響く。振り返れば、アールの剣を覗き込むユーリウスの姿があった。

「途中で折れたらどうしよう……」

 情けない顔で、アールが嘆く。ユーリウスの脇から覗き込めば、単なる鉄の棒になった剣が見えた。いや、鉄の棒の方が、厚みがあるだけましだろう。薄い刀身は無数に刃毀れしており、その中には、深くまでひびが入っている場所もある。目標の魔物との戦いで耐えるどころか、たどり着く前に折れてしまいそうだ。

「ワタクシの剣を使いますか?」

 運よく、セバスチャンの持っている剣は、アールの剣とタイプが似ている。ボースで主と共に買った新品で、そう使い込んでいる訳でもないから、変な癖もついていない。

「でも、そうするとセバスさんが丸腰になってしまう」

「身を守るための懐剣くらいはありますよ」

 セバスチャンは、笑って腰の剣を鞘ごと取り出した。

「それに、ワタクシが剣を振るうより、アール君が振るった方が、ギル様の力になる」

 アールの剣技は、セバスチャンのそれを、すでに凌駕していた。若者の成長は、驚くほど早い。

「…………セバスさんってさ」

 差し出された剣と、差し出すセバスチャンを交互に見て、アールは口を開いた。

「ギルベルトさん中心だよね。基準が」

「それが何か?」

 それが、セバスチャンの生き方だ。

「ギルベルトさんが危なくなったたら、自分の危険を顧みず飛び出すよね」

「それは、当然です」

 主の全てを自分よりも優先する。それが、執事のあるべき姿だ。

「なら、セバスさんは、きちんとした武器と防具をきちんと持ってなきゃいけないよ」

「?」

 アールの言いたいことが分からずに、セバスチャンは首を傾げた。

「……わかんないかなぁ」

 セバスチャンの様子に、アールが苛立たしい声を上げる。

「守るなら、ちゃんと守りきらなきゃ!」

「武器も持たずに、もしもの時どうやってギルベルトさんを守るのか、って話です」

 ユーリウスが、怒鳴った後にむっつりと口を閉ざしたアールの代わりに口を開く。

「命を懸けて守るよりも、いかに命を懸けずに守るかが大切なのでは?」

「ああ……」

 セバスチャンは理解した。彼らが、従者というものを知らない事を。

「そうですね」

 そして、冒険者は誰の従者でもないことを。

 慣れないが、それが彼らの常識なのだ。従者が主の全てを優先するのが常識なのと、同じように。

「では、ワタクシは、万が一のために剣と楯を手放さないことにします……しかし、アールは」

「その剣でよかろう……いや、その朽ちかけた剣がよかろう」

 ずっと若者と従者の会話を静かに聞いていたギルベルトが口を挟む。

「なぜです?」

 若者の疑問に、ギルベルトはにやりと笑う。

「作戦だと思っていれば良い。そして、テオフィル」

「はいっ!?」

 いきなり名前を呼ばれた少年が、驚いて顔を上げる。

「お主が、この作戦のキーマンだ!」

「え?」

 急な指名に驚くテオフィルへ、ギルベルトはセバスチャンの背負い袋から取り出した物を放り投げる。あれは、ボースで買った物の中で、唯一使用用途が分からなかった物だ。軽いがかさ張って、持ち歩きたくなかったそれ。

「なに、これ?」

 荷物を広げて、テオフィルが目を丸くした。

 彼の手には、シンプルな作りの服が有った。裾の広いそれは、シンプルだが、それ故に、間違いようがない。

 女性用である。

「囮作戦だ」

「おとり……?」

「ああ」

 いち早く察したユーリウスが、ため息をつく。セバスチャンも分かった。

 生け贄は女性だ。

 生け贄の代わりは、女性――せめて、女装をする必要がある。

 セバスチャンは安堵の息を吐いた。ギルベルトに、女装癖があるのではないかと、思わなかった訳ではないのだ。

「セバス」

 聡い主人は、安堵の表情を浮かべた従者を見逃さなかった。

「儂に、女装癖があるとでも思ったか?」

「いえ――いえ、そういう訳では……」

「一瞬、そうだったら面白いって思ったぞ。なあ、セバスじーさん」

 さらっと言った怖い物知らずは、当然ニコだ。

「はぁ……いやっ! そう思わなかった訳でもないですが、ワタクシは信じておりましたよ」

「何をだ……」

 ギルベルトは苦笑する。

「はぁ、すみません」

「いい。実はこれをお主に持たせた時、どう反応するか楽しみだったんだ……なのに、何も言わなかったからな、つまらなかった」

「…………」

 楽しそうに笑う主人に、セバスチャンは言葉を失う。実は、女装癖をカミングアウトされた時、どう反応すべきか、結構悩んでいたのだ。

「じーさん、実は本気で悩んでいたな」

「お、そうなのか、セバス?」

「……答える気もありません」

「あ、あのぅ~」

 ギルベルトとニコが更にセバスチャンをからかおうと口を開きかけた時、遠慮がちな声が割って入った。

「僕も、そんな趣味は無いんですけど」

「うむ。仕事だ。着ろ」

「ううう……」

 断る余地も無いギルベルトに、テオフィルはドレスを握り締めてうなる。彼の背後には、楽しげにテオフィルを手招きしている兄と友人がいた。

「アールが着れば良いじゃん!」

「俺だと気持ち悪いだけじゃないか」

 ……確かに。この中で囮役ができるのは、まだ少年の域を抜け出していないテオフィルくらいだ。

「諦めろ、テオ」

「兄さん……」

 可愛そうだが、テオフィルの女装は決定時項らしい。

「ん?」

「どうした、セバス?」

「い、いや。なんでもありません」

 もし、アール達に出会わなかったら。テオフィルがいなかったら、だれがあのドレスを着る予定だったのだろう?


 ……セバスチャンは、考えることを放棄することにした。



 シイ山山頂付近には、いくつも白い岩でできた洞窟がある。噴火か何かの拍子に出来たのだろう。その一つに、アドルとシリィはいた。

「御山は?」

「静かだね」

 アドルの問いに、はっきりとシリィは答える。

「勇者は?」

「もう少しで来るよ。あぁ……良い格好だ」

 アドルの声は楽しそうだ。

「やっぱり、囮が妥当だよね。生贄と、それを捧げる氏子達に化けて、懐まで入り込む。神の領域に入る事ができるのは、神が許したモノだけだ」

「人の区別がつかない神だったり、外見だけでしか判断できない神だったりすれば、だけどね」

 そうだね、とアドルは同意する。

 前者は特に珍しくない。人ではない神は、個を認識することが苦手だ。人が、同じ種類の動物の個を見分けることが難しいのと同じように。後者も少なくない。弱い神は、簡単に騙せる。

「そして、ここにいる生贄を求める『神様』は、それが有効」

 どちらかと言えば、恐らく前者だろう。彼らは人を人以上に認識できない。

「……さて、どんなオチをつけてくれるか」

「満足そうだね」

 シリィは苦笑した。

「全然予定通りに動いていないのに」

「まあね」

 アドルは笑う。

 自分の四倍近く生きた人の行動を、全て読み切れると考えるほど、アドルは傲慢ではない。アドルの予想した通り、彼は用意した道を半分以上無視して、ここに来た。一番大きな予想外は、やはり村に寄らずに直接山に登ったことだろう。

 だが、それでいいと思っている。

 だからこそ、おもしろいのだ。

 制御不能な事態を傍観する楽しみ。うまく大筋から外れないように調整する楽しみは、素直に用意した道を歩く勇者からは、貰えないものだ。

「お手並み拝見」

「……呑気だな」

 呆れた声が聞こえた。

 ギルベルト達をこっそり守っていたエドとフェイスが、戻って来たのだ。これは、既に物語が、アドル達の手を離れたことを意味する。


 事態は結末へ走るだけである。

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