わたしの理想の勇者様


わたしの理想の勇者様

「昨夜はお楽しみでしたね」

 宿屋の下衆な言葉に、彼女は爽やかな笑みを返した。



 この洞窟は、抜け道だ。

 マイラからリムルダールへと抜ける道で、ロトの時代に開通したと言われている。

 出来てから四百年以上経つ人工の洞窟だ。当時の技術力は相当だったのだろう。今でもこの洞窟は人々に利用されている。それどころか、どんなに大暴れしても、崩れる気配すらない。

 この洞窟には、人々が使う南北に走る道の他に、小さな横道がいくつもあった。洞窟を掘る時に使われた横道なのだろう。開通されてから使われなくなり、今は誰もその存在を気にしない。その横道の先に小さな部屋がある。おそらく工事をした人々の休憩所だったのだろう。

 ラダトームの至宝とも言われている王家の姫君、ローラはずっと、そこに幽閉されていた。

 彼女を閉じ込めるために作られた、小さな覗き窓付きの鉄製の扉だけが新しい。


 大きな振動に、部屋の隅に座り込んでいたローラ、は身体を震わせる。天井から、ぱらぱらと小石が落ちてきた。

 獣の吠える声、大きな息を吐く音、硬い物同士が交わる音。気合の入った人の声も遠く聞こえる。たまに聞こえる、大地になにかが叩きつけられる音には、いつまで経っても慣れない。

 外で、人が魔物と戦っているのだ。恐らく、ローラを助けに来た勇者が、ローラを守るドラゴンと。

 ローラは戦い方を知らない。なので、この音が、具体的に何を意味するのか分からない。

 しかし、死闘であることは、もう分かっていた。

 この音が終わり、洞窟内に静寂が戻った後、必ずドラゴンはローラのもとに現れ、見せつけるのだ。その牙や爪に付いた、勇者の切れ端を。


 それは、金の髪巻き毛だった。癖のない黒髪だった。

 それは、へこんだ鉄製の兜だった。緑色の服の切れ端だった。

 それは、純白のマントだった。毛皮のコートだった。


 それらは必ず――赤に染まっていた。


 最初の助けが来るまで、ローラは恐怖を紛らわすために、自分を助けに来る勇者の事を考えていた。

 あの巨大なドラゴンを倒すことが出来る屈強な男性。それは、ローラの腰より太い腕で、ローラの背丈くらいの大剣を持った、筋肉隆々の勇者だろうか。それとも、細身の剣を目にも止まらない速さで操る、スマートな勇者だろうか。

 しかし、今はそんな夢を見る事はない。

 ただ、祈るだけだ。

 誰でも良い。いや、誰も来なくてもいい。

 ただ、祈る。

 もう、自分を助けるために犠牲となる勇者が現れないことを――


 そう。

 あの時までは。


 それは何人目の勇者であっただろうか。

「俺はお前を倒し、ローラ姫を妻とする! 王と、そう約束したのだ!」


 は、なにそれ?


 ローラは耳を疑った。

 慌てて開かない扉にすがりつき、覗き窓を開ける。

 ローラは初めて、ドラゴンと勇者の死闘を見た。

 ドラゴン越しに勇者が見える。筋肉の鎧の上に脂肪をまとった、縦横ともに豊かな男だった。手入れされていない髪と髭はもじゃもじゃと絡まり、見るからに不潔そうだ。髭から辛うじて見える容貌は、勇者と言うよりもならず者のそれだ。

 父は、自分を助ける代償に、自分を差し出すのか。こんな男に。

 愕然とした。

 自分の未来が、竜王の妻となるか、自分と言う商品を求めてドラゴンに挑む男の妻となるかの、二択でしかないことに。

 父は、ローラを助けるために、そう触れを出したのだろうか。今まで助けに来た勇者たちも、皆、ローラを妻とするために、ローラを助けに来たのだろうか。

 冗談じゃない!

 細い足で、大地を叩く。何度も。何度も。八つ当たりする大地がびくともしない事すら、苛立たしい。

 これは、怒りだ。

 こんな激しい怒りを覚えたのは、初めてだ。

 ――思い通りになるものか。

 ローラは、今まで従順に生きてきた。父が求めるままに、彼の隣で花のような笑みを浮かべ、国民たちへ愛情を振る舞っていた。それが、彼女の役目だと思ったからだ。彼女の伴侶も、ラダトームに、そしてローラに相応しい者が選ばれる。そこに彼女の意志は必要ない。それくらい、理解していた。

 しかし、流石にこれは納得できない。

 ただ、ドラゴンを倒す腕があるだけの、むさくるしい男を伴侶とするために、ローラは今まで生きてきたわけではない。

 こんな男が、国や自分に相応しいなどとは、決して思いたくない。

 ――なら、こちらも選ばせていただこう。

 ローラは決めた。

 彼女の理想とする勇者が現れるまで、決してここから出ない、と。


 これは、彼女が初めて抱いた、反抗心だった。



 それからローラは、彼女を助けに来る勇者をしっかりと見るようになった。

「三十点」

 今度の勇者は半裸に覆面だ。これ以上なく胡散臭い。これで露出している部分が引き締められた筋肉ならまだいい。だが、この男の腹は、縦ではなく横に割れ、動くたびにぶよぶよと揺れていた。

 彼女の声に呼応するかのように、ドラゴンが吠える。そして魔物は、挑戦者を排除するために真っ赤な吐息を吹きかけた。

 炎の息をまともに浴びた勇者は、石畳に倒れこんだ。ドラゴンはそのズボンを牙で掴み、悠々と洞窟の入り口へ向かう。ズボンを引きずられる形になった半裸の勇者は、汚い尻が半分見えていて、更にローラの気分を悪くさせる。


 この半年、彼女は、魔物の存在に慣れてしまった。それどころか、友情に近い感情まで抱くようになっている。竜王がそう采配したのだろう。彼女の世話をする魔物は、人の話を理解する知能の高い者ばかりだった。賢い魔物たちは、彼女を理解した。竜王の妻になるのも嫌だが、それ以上に、むさくるしい、力だけが自慢の自称勇者の妻になるのは、もっと嫌だ、という事を。

 そして、彼らは、彼女の望みのままに、ローラを得ようと立ち向かってくる男どもを排除してくれるようになった。

 排除と言っても、ローラは、無謀な挑戦者を殺さないよう、ドラゴンにお願いしている。そのため、ドラゴンは、挑戦者を立ち上がれなくなるまで叩きのめしても、以前のように殺したりはしない。優しく口にくわえ、洞窟の入り口まで運ぶ。

 そういう話になっている。

 彼女の視界が届かないところまで移動した後どうしているかは、ローラは知らない。もしかしたら、とどめを刺しているかもしれない。しかし、少なくとも、戻って来たドラゴンの牙は血に濡れていなかった。これ以上は、洞窟の小さな小部屋に閉じ込められているローラに知る術はない。そして恐らく、それは、知ってはいけない事なのだ。



 そして、ついに運命の時が訪れた。


 何人目の勇者だっただろう。ローラは、彼の来訪を戦闘の音で知った。彼は、今までの勇者のような長広舌を振るう事も、ドラゴンの向こうに閉じ込められているローラへ愛を語ることも、一切しなかったのだ。

 戦いを見るのは、今でもつらい。だが、ローラは勇者を確認しなければいけない。確認して、排除すべきか、受け入れるべきかを決めなくてはいけない。

 扉の覗き窓を開ける。既に激しい戦闘を始めていたため、ドラゴンはいつものように扉を守る位置にはいなかった。彼は少し扉から離れた位置におり、ローラはいつもよりも近い位置で勇者を確認することが出来た。

 現れた勇者は、すらりとした人だった。

 顔は、武骨な鉄の兜の陰になり、暗い洞窟ではよく見えない。右手には鋼の剣、左手には鉄の盾。鮮やかな朱色のマントの下には鎖帷子を着込んでいる。

 ドラゴンが吠える。襲い掛かる大きな牙から、勇者は素早く身をかわした。ドラゴンと勇者の位置が入れ替わる。扉の前に勇者が来た。目の前にある勇者の後ろ姿は、ひどく華奢なものに見えた。今までの、ただごつくてむさいだけの男とは、違う。

 そのときだ。戦闘中にもかかわらず、勇者がこちらへと振り向いた。至近の扉、その小さな窓から覗くローラと目が合う。

 ――これは。

 ローラは息をのんだ。

 兜の下にあったのは、涼しげな容貌の少年だ。ローラと同じ年頃だろう。黒曜石のような漆黒の瞳が、彼女の姿を認め、驚きに見開かれている。

「あなたは――」

「来ますっ!」

 ローラは叫ぶ。

 勇者は慌てて視線を敵へと向けた。

「勇者様、わたくしを助けて!」

 これは合図。


 わたくしは、彼を、選びます。


 彼女の心を理解してくれた、ドラゴンへの、合図。


 ドラゴンが一際大きく鳴いた。その口から、炎が漏れる。ローラが、あ、と思った瞬間、暗い洞窟はドラゴンの吐き出した炎で赤く照らされた。

「熱っ!」

 手を添えていた鉄の扉が熱を持つ。熱さでローラは思わず声をあげて、手を引っ込めた。

「勇者様!」

 扉がここまで熱くなっている。では、その前にいた勇者は?

 ローラは熱さを堪えて扉に飛びついた。狭い覗き窓から見えるのは、堂々とした緑色の体躯。彼女が求める鮮やかな朱色のマントは――

 いた!

 彼は、ドラゴンの側面に回り込んでいた。翻るマントには、焦げ目もない。あの炎の攻撃から、彼は逃れたのだ。

 ローラの死角から剣が振るわれる。それは、ドラゴンの堅い鱗を引き裂いた。ドラゴンは足を上げ、小さな勇者を踏みつぶそうとする。しかし、勢いよく下ろされたドラゴンの足は、洞窟の石畳を割り、小石をまき散らしただけだ。勇者はそれより早く、ドラゴンの背後に回り込んでいる。

 ――速い。

 いや、それとも、ローラの意を汲んだドラゴンが、手加減している?

 ローラには戦いがわからない。なので、勇者がドラゴンよりも強いのか、ドラゴンが勇者に負けるよう手加減しているのか、判断できない。

「中間管理職の辛さですな」

「ひぃっ!」

 背後から、ねっとりとした声がかかり、ローラは悲鳴を上げる。彼女の背後に音もなく現れたのは、大魔道と呼ばれる魔物だ。特に彼は、ローラの世話役でもある。名前はないらしい。なので、彼女は大魔道さんと呼んでいる。

「ヒッヒッヒ……いつも良い反応ですな、お姫さま」

 ねっとりとした口調は不快だし、毎回現れる時にローラを驚かすが、大魔道は基本的に親切だった。半年も世話されていれば、わかる。

「あのドラゴンは、お姫さまの望みを叶えたい――情が完全に移ってしまっておる。じゃが、竜王様の部下として、あっさりとお姫さまをあの若造に渡すわけにもいかぬ」

 あなたを妻にすることが、竜王様の望みですからの。

 大魔道に言われて気付いた。元々ドラゴンは、竜王の命を受け、ローラをここから逃さぬように見張っていたのだ。

「もしかして、わたくしはドラゴンさんに、無理を言ってしまっているのでしょうか?」

「中間管理職の辛さじゃな」

 大魔道は、先ほどと同じことを言う。中間管理職とはなんのことだろう?

「お姫さまは心配せんでいい。あやつは、うまく折り合いをつけるよ――もちろん、この儂もな」

 大魔道のいう事は、たまによくわからない。理解しようと細い眉を寄せ、必死で頭を働かせていたら、ヒッヒッヒ、と、また笑われてしまった。

「しかし、流石本物。あやつ、本気出しておるぞ」

「本物?」

 そうじゃ、と大魔道はにやりと笑う。

「あれは、ロトの子孫じゃな」


 ロト。

 闇に覆われたアレフガルドに光をもたらした、希代の勇者。


 ローラははっとして、覗き窓から外を見る。

 巨体にも関わらずドラゴンの動きは機敏だ。彼は、どんな勇者よりも速く動いていた。だが、そんなドラゴンが緩慢に見えるほど、少年の動きは速い。彼はその素早い動きで、確実にドラゴンにダメージを与えている。

 武骨な兜に隠れて今は見えない、爽やかな顔立ちを、ローラは忘れることが出来ない。

 これが、英雄の血筋。

 勇者はかくあるべき。それをそのまま体現したかのような――


 一際大きく、そして悲痛な雄叫びが洞窟に響き渡る。同時に重い物がドスンと落ち、大地を震わせた。

 ついに、彼女を監視するドラゴンが――彼女から望まぬ男を排除し守っていた魔物が――倒されたのだ。

 横たわる緑色の巨体に、ローラは目を奪われる。無数の傷と、そこから滴る血から、それが演技ではないのがわかる。

 竜王の手下。彼女を城からさらった魔物。人の敵。半年、閉じ込められた彼女を労わってくれた魔物。望まぬ男から守ってくれた友達。

「おめでとうございます。勇者の勝利です」

 ヒッヒッヒ、と掠れた笑い声を大魔道はあげた。

「彼は、大丈夫?」

「心配無用。とどめを刺されなきゃ、死にゃしませんよ」

 ほっとする。そんなローラに、大魔道はにやりと下品な笑みを浮かべた。

「理想の勇者様と、お幸せに」

「……ありがとう、ございます」

 色々な思いを込めて礼を言う。役得ですな、と笑いながら、大魔道は姿を消した。

「――え、消えた?」

 大魔道が消えるのと同時に、外から声が聞こえた。若々しいテノール。勇者の声だ。

 ローラが覗き窓から外を見ると、ドラゴンの巨体が消えていた。大魔道が、連れて行ったのだろう。

 消えた空間に向かって、ローラは一礼した。


 勇者は、いささか釈然としない面持ちで、重い鉄の扉を開け、部屋に現れた。ドラゴンが、いきなり姿を消したことが、不思議でならないのだろう。しかし、彼は部屋の真ん中で椅子に座っているローラを見つけた瞬間、眉間に刻んだ皺を消し、優しい笑みを浮かべる。

「ローラ姫、ですか?」

 ドラゴンと激戦を演じた鋼の剣は、すでに腰の鞘に収まっていた。武骨な盾は背負われている。

 彼はすっと歩み寄り、ローラの前で片膝をつく。両手で兜を外した。戦いのさなかに、一瞬だけ見えた顔が、ローラの前に堂々と曝された。

 漆黒の髪に漆黒の瞳を持った、柔らかい雰囲気の少年だった。あの巨大なドラゴンと戦い、倒したとは思えない優男である。

「私はアレフと呼ばれております」

 大魔道の言葉が正しければ、ロトの子孫アレフ。

「お辛かったでしょう。よく、今まで耐えられました」

 若く爽やかなテノールの風が、優しくローラを包み込む。

 辛いと思ったことはない。彼女の世話をしてくれた魔物は、彼女に良くしてくれていた。

 耐えていたと思ったこともない。

 彼女は、自分と国に相応しい勇者を待ってはいた。だが、何にも耐えてなどいなかった。

 ずっと、そう思っていた。

 なのに。

 だと、言うのに。

「勇者様っ……!」

 ローラは瞳に涙を溜めて、叫んでいた。

 はしたなくも、勇者に抱き着いて。


 アレフは、ローラが泣きやむまで優しく抱きしめてくれた。

「さあ、帰りましょう。国王陛下と、国の皆が貴女を待っております」

 ローラが落ち着いた頃、初夏の風のような声で語りかけた。

 ローラはうなずく。父はローラが返ってくることを待ち望んでいたのは確かだろう。選んだ手段が最低だっただけで。

 ローラは差し出されたアレフの手を取る。立ち上がる前に、少し考えた。手を引かれて、並んで歩くのも、なにか違う気がする。

「どうしました?」

 アレフが、動きを止めたローラの顔を、心配そうにのぞきこんでくる。

「もしかして、立てませんか?」

「……はい」

 少しだけ期待して、首を縦に振った。どうせなら、歩いて帰るより、勇者に抱きかかえられて帰りたい。

「失礼」

 アレフは一言断って、彼女の足と背に手を回す。勇者は彼女の期待に応えた。

「あっ!」

 両腕で抱え上げられることは、期待していた。だから、驚かない。ただ、男性にしては華奢な体つきの彼が易々とローラを抱き上げた事に驚いた。背と膝にあたる腕は、細くて柔らかい。なのに、その柔らかな細腕で、さらりとローラを抱え上げたのだ。

「無礼かもしれませんが、少々耐えてください。早く、この洞窟を出ましょう」

 至近距離で、彼は微笑む。

 これは、幸せかもしれない。

 それにローラは、はい、と頷くことしかできなかった。



 ローラを抱えたアレフは、沈む太陽を左手に、広野を行く。彼はローラを抱えたまま、器用に魔物を追い払いながら、進んだ。

 たどり着いたのは、深い森の中にある、木造の集落、マイラだ。

「今日はここで、一休みしましょう」

 森を進む間に、日は落ちている。すぐに城に帰るのはもったいないと思っていたので、ローラは素直に頷いた。

 何度か来たことがあるのだろう。アレフは迷わず村の中へ入っていく。井戸のある広場を堂々と抜けた時には、井戸端で話をしていた女性たちから、黄色い声が上がっていた。細身で軽々とローラを抱き上げているアレフは、格好いい。村の女性たちが声を上げるのも当然だ、とローラは思う。そして、そんなアレフに抱き上げられていることを、すこし自慢に思った。

 彼がローラを連れてきたのは、マイラの奥にある宿だった。

「いらっしゃい、ご両人」

 宿屋の主人が、カウンター越しに声をかける。

「一泊お願いしたい。一人部屋を二つ」

「ああ!」

 アレフの注文に、宿屋の主人は芝居じみた調子で頭を押さえ、声をあげた。

「大変申し訳ありません。ただ今、空室が一部屋しかないのです」

「……そうか」

 どうしようか、とアレフは視線を落として呟く。

 ローラは彼の腕の中で、宿屋を見回した。木造の家は初めてだ。明かりに照らされる木の壁や天井は、石造りの家よりも暖かい。

 カウンターへと視線を動かしたとき、考えているアレフをじっと見ている宿屋の主人と目があった。

 彼は変な表情で、アレフを見ていた。顔は申し訳なさそうなのに、口元が笑っている。そして、目が何かを期待するかのように、キラキラしている。

「仕方がない」

 アレフはため息をつき、顔をあげた。

「なら、一部屋でいい」

「――!」

 ローラは驚いて、アレフの顔を見上げる。しかし、彼の変わらぬ涼しげな顔を見た瞬間、かっと顔が熱くなった。思わず視線を外す。

 顔の火照りが止まらない。

 初めて会った殿方と、同じ部屋に泊まる――それが、何を意味するのか、ローラは知っている。覚悟はしていた。むしろ、望んですらいた。彼ならいいと思ったのだ。だから、選んだ。

 しかし、本当にこういう事態になるとは。

 心の中に住む野蛮なローラが、雄々しくガッツポーズを繰り返している。はしたないなどと言わないでほしい。

 実際にやらないだけ、褒めてほしいくらいだ。


 下品な空気を醸し出している宿屋の主人は、勿体ぶった調子でアレフに部屋の鍵を渡した。

 鍵を受け取ったアレフは、ローラを抱えて部屋へと直行する。片手で器用に扉を開け、ベッドの脇に、丁寧にローラを降ろした。

 部屋は、ローラが閉じ込められていた洞窟の部屋よりも小さかった。扉と反対側に、不相応な大きさのベッドが置いてある。ベッドに押し除けられたかのように、棚や小さなテーブルセットが部屋の隅にまとまっていた。

「勝手に相部屋にしてしまい、申し訳ありません」

 慇懃に頭を下げるアレフに、ローラはそんなことない、と首を横に振る。

 ローラの視線を受けながら、アレフは部屋の隅にある棚に、自らの荷物を置く。ローラに背を向け、鮮やかな朱色のマントと鎖帷子を脱いで、大きく溜息をついた。

「この宿にしたのには、理由があるんですよ」

 振り返ったアレフは、楽しそうに言う。

「温泉があるのです」

「温泉?」

 知識では知っている。お湯の湧水だ。マイラは風呂のお湯に温泉を使う事で、有名である。

「ずっと穴蔵に閉じ込められていていたのでしょう? 温泉で、凝り固まった身体をほぐされてはいかがかと」

「それは、素敵ですね」

 風呂は好きだ。マイラの温泉は、腰痛のじいやが行きたがっていたので、老人臭さを感じないわけでもなかったが。

「混浴なのですが、宿屋の主人に頼んで貸し切りましょう。私も、外で見張っておきますので、姫さまは心置きなく温泉を楽しんでください」

 いかがでしょうか? と尋ねるアレフの中には、ローラへの労りが見える。それは、とても嬉しい。

 でも、それは満点ではない。


「――それよりも、アレフ様」

 その言葉は、恥じらいもなく、自然に口から出てきた。

「わたくしと、一緒に入りませんか?」


 常に涼しげな笑みを浮かべている勇者が、はじめて驚いた表情を浮かべた。



 宿屋と道を挟んだ反対側に、温泉はあった。

 薄い木の板で囲われた粗末な小屋だ。雨よけの屋根と目隠しの板の間から、もくもくと湯気が出ている。

 小屋の中にはわずかな床と大きな浴槽があった。すべて木製である。濡れた木が独特の匂いを放っている。湯は茶色がかった透明で、湯につかった部分もはっきり見えるのが、少し恥ずかしい。

 熱めの湯は、心地よく身体を温めてくれる。身体がほぐれていく感じがした。

 ローラは、浴槽の中の湯につかって、呆然としていた。

 彼女の目の前では、アレフが気持ちよさそうに湯に浸かっている。

 お互いに向き合っているので、その肢体が良く見える。

 鎖帷子に収まっていたアレフの体は、予想以上に華奢なものだった。

 日に当たっていないせいだろう、旅をするものにしては、その肌は白い。ローラ程の白さはないが、程よい肌色である。均等に無駄なく筋肉の付いた身体は、全体的に柔らかい。引き締まった腰から鍛え上げられた尻のラインが、美しい。

 そして、胸。

 そこには、筋肉ではあり得ない丸みがあった。

 ローラのよりはささやかな、しかし、これは確かに――

 アレフが、爽やかさの中に、茶目っ気を含んだ笑みを浮かべた。

「私の名前はアレフチーナ。アレフと呼ばれております」

 均整の取れた身体のラインは、確かに、間違いようもなく。

「女性、だったのですね」

 散々選んで、たくさんの勇者を退けて、そして、選んだのが――女性。

「よく、間違われます」

「……そんな、酷い」

 爽やかに答えないでいただきたい。



 改めて見てみれば、確かにアレフの所作は凛々しい女性のそれでしかなかった。華奢なのは当然だ、女性だから。だが、女性として見れば、鍛え上げられた屈強な戦士の身体である。

 男よりも格好いい女の子。

 それは、ローラが初めて出会うタイプ女性だった。

 そして今、二人は同じベッドに横になって、談笑している。

「陛下も、恐らく私の事を男だと思っているだろうな」

 爽やかなアルトは、口調が砕けている。ローラがお願いしたのだ。

「なら、誤解させたままの方がよさそうね」

 二人は、顔を見合わせてにやりと笑う。

「お触れ通り、姫を私の妻にする」

「そして勇者の妻は、アレフガルドの外へと旅立つ勇者と共に、旅に出る」

 父は慌てるだろう。

 姫を妻にした勇者が、国に腰を据えず外に出るとは、思ってはいまい。ローラだって、アレフに言われるまで考えなかった。ローラを妻にしたものは、アレフガルドの国王になるものだと、思っていた。

 アレフは、ロトの末裔としての使命を果たしたら、アレフガルドの外に旅立つつもりだと言った。彼女の夢は、知らない場所を見る事なのだ。

 ローラはそれについて行こうと思う。

 少し、父に懲りてほしかった。手段を選ばない触れで、娘をどれだけ絶望させたか、思い知ってほしい。

 それまで、ローラはアレフと一緒に外の世界を見てこよう。そして、ほとぼりが冷めたころに、戻って来よう。勇者ではない、国を継ぐにふさわしい男性と結婚して、ラダトームを繁栄させる。アレフとの旅が、役に立つはずだ。

「でも、少しだけラダトームで待っていてほしい」

 わかっている、とローラは頷く。

「竜王を倒すのが、私のロトの末裔としての役目だから」

 うん、とローラは頷く。わかっている。アレフはその役目から解放されないといけないのだ。

「わたくしも、出来る限り協力するわ」

「合言葉は?」

 楽しそうなアレフの問いに、ローラはおどけた口調で返す。

『ローラはあなたをお慕い申しております』

 二人は、額を突き合わせて、笑い声をあげた。




「昨夜はお楽しみでしたね」

 宿屋の下衆な言葉に、彼女は爽やかな笑みを返した。

「ああ、とても良い時間を過ごせた」

 アレフの腕の中で、ローラはそっと笑う。

 そう、とても良い時間を、過ごした。

あとがき

DQ小説同盟アンソロジーのために書いた作品の没話です。

没の理由は、ページに収まらないから。頑張って削っても13ページなんですよ。3ページも削れん!!

大幅にエピソードを削らねばと悩んできたところに、全く別の話が降臨したので、そちらを書きました。アンソロに掲載する話の方が、とても私らしい話になっていると思います。

こちらは、オチは私らしいのですが、そこまでの描写があまりにも(私としては)冒険すぎて……その辺りで躊躇していたりもしていました。

オチを知ってから読んだら、全く別の視点で読めるんじゃないかな、と言うお話になっていればと思います。