伝説の神話・余話

落ちる



 魔王の支配にただ抗うだけの存在だった我に、生きる意志と目的を教えてくれたのは、同族の魔物ではなく、ひ弱な、人間の女だった。
 支配されなかったのは、自我を保っていられたのはこの山に住みモンスターを統べるものとしての誇りと、意地があったから。でも、今はその意地すらにも感謝する。
 それのお陰で自分は、その女と会えたのだから。

 女は、我が姫は、我の住む、支配するジパングの御岳の火口より、落ちてきた。

 人とは弱いもので、この程度の高さから落ちただけで気を失う。気を失うから、うまく着地が出来なくて、怪我をする。下手をするとそのまま一生目覚めない事にもなる。
 落ちてくる女をそっと受け止めたのは、我の気まぐれであるとしか言えない。
 珍しいものが落ちてきた。それに興味を抱いて受け止めた。それが、人間の女だった、それだけだ。
 気を失った女をそっと横たえて、暫く眺めた。
 この島に住む人間である。白い布をまとって、長い黒い髪をしていた。きっと瞳も、黒い。
 モンスターどもが興味を持って集まってきた。それが人だと知ると欲しそうに寄ってくる。奇妙な声を上げる。それがうざったくて、一喝してやった。
 蜘蛛の子を散らすように、この火山に住むモンスターが去っていく。それと同時に女がその瞳を開いた。

 モンスターにも、人間ほどわかりやすくは無いが表情と言うものがある。人間の顔はスライム並みに柔らかく、若い者はつるんとしていて、それ故顔がくるくると変わる。わかりやすいのだ。
 しかし、目覚めたこの女は、わかりにくい魔物の表情すらも読むことが出来る我にも読み取ることが出来なかった。
 開いた瞳は、漆黒であった。光が無い為か、その瞳は闇と同じ色をしている。白磁の顔は整っているが、そこに表情と言うものは一切無かった。
 真っ赤な唇が、その表情のまま、開く。
「私は、生きているのか?」
 その声は、洞窟内に響いた為か、酷く神秘的で。我は思わず身震いをした。

「お前は何者だ?」
 ただ者だとは思えず、我はのどの奥から唸るように声を出す。人の言葉は知っている。知らぬほど下賎な我ではない。
 8つの首から同時に吐き出される地響きのような我の声に臆せず、女は毅然と首を我の方にあげたまま答えた。
「名前は捨てた。誰も、私の名を呼ぶものはいない」
 その声に哀愁を感じたのは、我の気のせいではあるまい?
 人というのは、大事なもの、特別なものに名をつけるらしい。そして、それをその名で呼ぶ。名を持たぬ我にはわからぬことだが、名と言うのは大切なものではないのか?
 人だけではない。魔物の中でも名をつけるものいるし、それより上位の竜や精霊たちにも名がある。
 ただ、それは同じ種で、個人を分別する為に必要なもので。魔王が魔物を支配し始めてから、個人と言うものがなくなった魔物に名前は消えた。
 ただ、我は違う。我は、魔物の中でも孤高の存在。そして、唯一の種族である為、名を必要としない。
「お前こそ、何者だ?」
 そんな事を考えていた我に、女は逆に尋ねてくる。
「我も、名など無い。どの魔物とも異なる存在ゆえ、名が無い」
「なら、私もそうなのかな」
 このとき女は初めてその美しい顔に表情を浮かべた。笑み、だ。
 気高い花のような、凛とした、しかし優しい笑みだった。


 行くところも、帰るところも無いという女に、我はこの地を与えた。
 暫くここにいるが良いといった私の首の一つに、抱きついたその暖かい温度は、忘れる事が出来なかった。
 その、どんな宝石よりも美しい涙は……



 罪を犯せば、罰は免れない。
 それを知って私は、彼を愛した。
 この地は、人間があまりに多く住んでいて、住んでいる人が多ければそれだけ争いも耐えない。
 小さな土地の覇権を狙って、多くの人が争っていた。
 そこであった、あの人。
 敵方だった。
 でも、私は彼を愛してしまって。彼も私を愛してくれて。
 愛は、偉大だ。
 愛は、争いの愚かさを教えてくれる。
 何故、争わなくてはいけない? 私も貴方も、唯一の存在なのに? なぜ、尊重しあえない?
 そして、私達は逃げる事にした。
 何処に? 力のない私達に、そこまで考える事は出来ない。ただ、この醜い争いから抜け出して、平和に暮らしたかった。
「誰も入れないような山奥にする?」
「あの海を渡った先。そこはどうなのだろう?」
 そんな事を言って笑いあった日は、すぐに終わった。
 私達の関係が、ばれたのだ。
 違う。
 その思いは、私の妄想に過ぎなかったのだ。
 彼は、私の幼い心を利用した。利用して、敵方……私達の情報を得ていたのだ。
 奇襲によって沢山の人が殺され、我らの部落は壊滅的被害を受けた。
 そして、私の、知らずの裏切りが、発覚した。

 愛する人に裏切られ、大切な人を亡くし、殺し。そして、その罪で落とされた。
 絶望に落とされた私にとって、先が見えない火口に落ちる事など、恐ろしくもなんでもなかった。



「お前を知って、我は、寂しさを知った」
 女によって八岐大蛇と名付けられた8つ首の魔物は、地に響く声を出した。しかしそれは、随分優しい。
「理解できなかった、愛と言うものを知った」
「私も……」
 女はその大きな体に寄りかかる。姫と大蛇に呼ばれる女性。その腕には小さな命。
「全てを無くした私に、生きる力をくれた」
「違うだろう?」
 大蛇はその首を姫の方へと向ける。
「お前は落ちてきた時も、生に満ち溢れていた。死にたくないと言っていたぞ?」
「まさか!」
 姫は、驚いて、思わず笑い出す。
 そんな事があるわけが無い。私は、絶望して、そう、全てに絶望して、失って……
「しかし、そんな中で死にたくないと願った」
 大蛇の言葉に、姫は黙り込む。そして暫くして、彼の体に彼女の揺れが感じられた。
 笑っている?
「そうだ……な。そうかもしれん」
 お前は私よりも私のことがわかるのか?
 体を振るわせたまま訊ねる姫に、わからんと大蛇は答える。
「ただ、そう感じた」
「私も……」
 子供をあやしながら姫は夫に微笑みかける。
「私も、お前の寂しいって心、わかったよ」
 一人で寂しいって、名前すらない孤高の魔物は叫んでいた。それがわかったよ。と笑う。
「そして、私も寂しかった」
 私達は、寂しがり屋同士だったんだ。
「そうかも、しれぬな」
 大蛇の声が揺れる。苦笑をしているようだ。
「しかし、今は寂しくない」
「あぁ」
 姫は姫子と呼ばれる自分の娘を見詰める。紅い髪に紅い瞳。大蛇の火の力を受け継いだ所為だと彼は言った。
「お前がいる、この子がいる」

 強く笑う女に、大蛇は満足の笑みを浮かべる。それは、硬い皮膚の為にあまりわからないのだけど。
 我は誇りに思う。
 強き女に会えた事を。愛しき子を得れたことを。
 そして、生きる。愛する妻と子供、その子孫の為に。

 それを教えてくれたのは、我が住む山の火口より落ちてきた、ひ弱な人間の、しかし何処までも強い女だった。


この話は、挫折した100のお題で2003年6月22日に書いたものです。

伝説の神話「火の国の物語10」のヒミコとオロチのエピソードを覚えていれば、何と無く繋がるだろうと思われる話。
主題が微妙だけど、ただ単に、この二人(?)を書きたくなっただけという話も。

もどる