伝説の神話


常闇-4

 ルビスは、自らの行為がもたらした事象に絶望した。


 彼女は、彼女が最も尊敬する人――なんと、それは最も脆弱な人間であった――から、異性としての想いを告げられた。それに彼女は応えればよかったのだ。

 世界を救う勇者の、生涯の伴侶となる。

 それは、物語のような話。誰もが一度は憧れる物語のような。

 しかし、彼女にはそれを選ぶ事ができなかった。

 彼は、彼女の中ではあくまで勇者だった。尊敬すべき、敬愛すべき勇者だった。その感情は純粋なもので、例えば神を愛する人間のような、そんな想いだった。

 崇拝している、といっても良いだろう。

 人は、神と結婚するなど考えるだろうか?

 崇拝する者に対して恋愛感情など、抱けるのだろうか?

 勇者の想いは嬉しかった。しかし、同時に困惑した。彼女は、彼を、一人の男としてみた事などなかったのだ。

 しかも、悪い事に彼女は、別の男を愛していた。勇者の親友で、片腕とも言うべき男性だった。いつも、勇者の影となり、勇者を支える人。彼が持つ、勇者の強い光の中で彼を更に際立たせる影のような存在に、魅かれた。そんな彼自身が持つ、柔らかな光に。

 だから、彼女は彼を選びたかった。しかし、彼はそれを拒んだ。光を支える事に徹していたその優しい光は、ここでも勇者を優先した。

 彼は、大好きな勇者と、大好きなルビス。二人が幸せになればそれでいいと笑ったのだ。

 おかしい、そう思った。

 彼女が好きなのは、彼なのに。彼も、彼女を好いてくれているのに。それはとても簡単な事なのに、なぜ、想いが叶わぬのか。

 敬愛はするが、決して異性として愛せない人と結ばれる事が、全てにおいて幸せなのか……ここに、愛し合う一組の男女がいるというのに。

 勇者に答えを出す前に、そう彼と話し合っていた――一方的に、捲くし立てたと言ってもいい。


 そして、間の悪いことに――それを勇者は聞いていた。


 彼は怒った。

 当然だろう。プライドの高い人だ。

 彼は、二人が自らの思いを弄んだと思い、激怒した。

「想い合う二人。空回りする愚かな男の夢を見てあざ笑う事のなんと楽しき事よ」

 あの時の、彼の言葉を忘れる事など、出来ない。

「もういい、茶番は終わりだ」

 あの、美しい顔に浮かべた、全てを凍らすほど冷徹な表情。あれから、あの美しい顔から笑顔が消えた。

 彼女が崇拝する、最も好きだった笑顔が。

「私は、こんな優しさ、いらない」

 親友の優しさに絶望した、あの言葉。

 そして。

「許さない」

 わたくしたちを許さない、と言った、最後の一言を。



「ゾーマは……あの人は、わたくしを許さなかった」

 当然だと思う。ひどく、彼を傷つけた。

 素直に、ありがたく彼の要求を受け入れていれば、彼は、あんなにも絶望して最期を迎えることなどなかっただろうに。もしかしたら、死を選ばずに勝ち、幸せな家庭を築く事が出来たかもしれない。

 しかし、現実は違った。

 自分の所為で。

 彼女の敬愛する勇者は闇に堕ち、絶望を届けに彼女の前に現れた。

 ショックだった。尊敬していただけに、長い年月がたっても、あれだけ傷つけても、それでも彼女の中で最も尊敬する勇者だっただけに。

 全ては、自らが招いた事だ。

「わたくし達を許さず、わたくし達が築いた世界を絶望の色に変えるために現れました……かつて、希望を招いた勇者が!」

 そんな悲しい話を信じたくなかった。彼女は自らの行為が招いた事態に絶望した。

「この事態に、絶望しました。わたくしが招いた事態に……そこから、逃げ出したかった」

 これから起こる悲劇を見たくなかった。

 そして、精霊王は石になった。

 気がついたら、石になっていた。いや、気付きもしなかった。彼女が絶望の闇に囚われている間、彼女の身体は石となっていただけなのだ。


「優しい笛の音は、アレフの希望です」

 懐かしいあの音を思い出すかのように、ルビスは目を閉じた。

「あの人らしい暖かな音色が、教えてくれた。あなた達の存在を……わたくし達と似た立場でありながら、全く違う答えを出したあなた達を」

 闇に射す、細いけれど、強い光。

「サウスと、私……そして、アル?」

 ユウカの問いに、誰かは知らない、とルビスは答える。ただ、絡み合った『好き』を絡み合ったまま幸せに解決した者がいる、それが彼らだと言う事しか。彼女の『アル』が望んだ、切望した幸せの風しか。でも、彼女にはそれで十分なのだ。

「あなた方は、わたくし達の、希望です」

 ふわりと、ルビスは微笑む。暖かな、凍った心を溶かす春風のような笑みだ。

「大変勝手な話ですが、あなた達の存在は、わたくしやアレフを救ってくれた」

 誰もがその名を知る神は、神は春風の笑みを浮かべたまま、小さな人間に向って頭を下げた。

「その希望の光で、ゾーマを……わたくし達の勇者を、救ってください」

 とても、勝手な願いだけど。

 自分たちの尻拭いを、こんな小さな人間にさせるのは、とても心苦しいけれど。

 しかし、自分たちではどうにもできない事を知っていた。神だとは、笑わせる。自分はこんなに無力だ。

「大丈夫ですよ」

 アルが、笑みすら浮かべて、はっきりと言った。

「僕は、ゾーマを倒しに来たんじゃない」

「はぁ?」

 素っ頓狂な声を出したのは、金髪の美少女だった。顔が、じゃあ、何でここに来たの、と聞いている。

「ゾーマは、沢山酷いことをしたけど。僕はきっと、怒って、憎んでもおかしくない位の事をされたのだけど……なんでかな?」

 アルは苦笑した。どうしても、憎めない、と。

「いや……最初は、とても怒っていたんだと思う。許せなかった。でも」

 フェイを見たから。フェイの、彼を語る時の表情を見てしまったから。そして、ルビスの、アレフの気持ちを見てしまったから。

 憎めない、怒れない。優しい勇者は、はっきりとそう言った。



「それでね、お願いなんだけど……」

 アルは、フェイには言った。

 彼は、アルの望みの為に出来るだけの事をしてくれるといった。酷く、真面目な顔をして。

 その願い。

「ゾーマと友達になりたい」


 それは、突拍子もないことだと、自分でもわかっていた。

 きっと、フェイは呆れるだろうと思っていた。

 だって彼は、人間の敵で。アルは勇者で……

 でもフェイの表情を見て、フェイに語りかけるゾーマの声音を聞いて、そう思ってしまったのだ。

 仲良くなりたい、と。


「ゾーマと、一人で会って、説得したい。僕に……どれだけの事を言えるかわからないけど」

 むしろ、何も言えない、逆に説得されてしまう気もあるのだけど。

 アルは、大切な事を、要点を踏まえてしゃべるのが苦手で、きっと、それはゾーマの方が絶対上手だと言う確信がある。と言うか、自分よりも下手な人にあったことがない気がする。

「もしかしたら、刃を交える事になるかもしれないけど。でも、決して僕はゾーマを大魔王として見たくない。ちょっと道を間違えた『人』として対峙したい」

 果たしてそれが可能なのか、そんなことアルにはわからないけれど。ギリギリまで、アルはそうありたい。

「まぁ……友達は無理かもしれないけど」

 アルは照れ笑いを浮かべる。しかし、声は真剣だった。

「でも、せめて、彼を止めたい」

 それが、願い。

 アルは、フェイの大切な人を倒したくなかった。


 アルの望みは、大好きな人が幸せになってくれること。

 大好きな人が笑顔でいれば、それがアルの幸せ。逆に、大好きな人が悲しければ、それはあるにとっても悲しい事だ。

 アルは、フェイにも笑って欲しかった。そして、欲張りな事に、フェイの大切なゾーマも、幸せであって欲しいと思ってしまったのだ。



「あら、あら、まぁ」

 のんびりと歩くルビスについて、アルはまだ塔の中にいた。

 一旦一番下まで降り、ぐるりと回って正面より中に入る。そして、最初に歩いた道順で、そこからいける一番高い場所――4階まで登った。

「手を、つけなかったのね」

 その中央に鎮座している宝箱を見て、ルビスは苦笑を漏らした。

「人のものを、勝手に取っちゃいけないから」

「まぁ、そうね」

 くすくすと、楽しそうに彼女は笑う。

「なら、ここの家主である私が取りに行きましょう」

 ついてきなさい。そう言われ、アルとユウカは素直に精霊王の後をついて行く。

 中央にある宝箱を彼女は開けた。

 その中には、鎧があった。

 この塔の主が装備するには無骨な、しかし、それでも鎧の中では洗練された美しさを持つ鎧が。

 ルビスがそれを箱から出す事で、その全容が明らかになる。

 青く、周りに金で縁取られた鎧。形としては平凡な鎧だが、その中央にある紋章にアルは見覚えがある。いや、それを今、手に持っている。

 手に持つそれと、ルビスの抱える鎧を見比べていると、そうですとルビスは満足げに頷いた。

「これは、光の鎧。貴方の手に持つ勇者の盾と組となるもの」

 これを、貴方に。

 しかし差し出されたものを、アルは受け取らない。

「一つ、聞いてもいいですか?」

「何?」

「これは、誰のものです?」

 これは、元々誰のものだったのか。そう聞きたかった。しかし、ルビスは表情を変えぬままに彼の問いとはずれた答えを返す。

「貴方のもの。わたくしが、あなたに差し上げるもの」

「そうじゃなくて……」

 アルは質問を言い直そうとした。しかし、彼の得たい答えは別の方向から得られた。

「私のものだったよ」

 はっと、息を呑む音が塔に響いた。アルは、答えた声の主を見ずに、ルビスへ視線を向ける。慌てて彼女の元に駆け寄り、その白い手を握った。

「私が受け取り、そして捨てたものだ」

 ひんやりとした柔らかな手を、ぎゅっと握る。

 ――大丈夫。逃げないで。

 あの声は、この人の中で、とっても大きな意味を持つ声だから。アルも忘れられないこの声を、この人が分からないわけではない。証拠にほら、宝石のような瞳は、その人へと釘付けになっている。

 アルは、励ますようにその手を握る。

 ――大丈夫だから。

 彼女の瞳が動いた。ゆっくりと瞬きし、紫色の視線をこちらへと向ける。ぎゅっと握った手が握り返された。

 アルはほっと息をつき、ゆっくりと振り返る。『彼』がいる方向へ。

 そして――目を見張った。





 ぱちりと炎がはじける音で、ラスは炎の色と同じ瞳を見開く。

「や……」

 炎の暖かさが心地よく、思わず転寝をしてしまっていたのだと気付いて、ラスは照れながら辺りを見回す。

 炎の揺らめきと、鉄を打つリズミカルな音が眠気を誘ったのだ。終日変わらぬ闇な為、時間の感覚が分からないが、体内時計は眠りを欲しているのだろうか。

 何も変わらぬ闇。炎の灯りだけが、この世界の光だ。

 そこに映える白い顔を、なぜ、声を掛けてくれなかったと、恨めしそうに見る。そして、その表情が強張っているのに気付いた。

「フェイ?」

 ラスは赤い炎にあたってもなお白い――いや、青ざめてすらいる少年を覗き込む。金色の瞳が見開かれ、虚空を凝視していた。その頬に光るものを見つけ、ぎょっとする。

「フェ……フェイ」

「あ……」

 彼は、ラスの声ではじめて自分が涙を流していた事に気付いたらしく、慌てて自らの目を強引にこすった。

「大丈夫?」

 どうしたの? と、聞きたいが、聞いてはいけない気がした。一筋といえども、いきなり流した涙。その理由を知りたいと言う好奇心はあったが、流石に無意味にそこまで踏み入れる事はできない。

「なんだ?」

 しかも、どうやらフェイ自身もわかっていないようだ。

「いきなり、津波のように哀しみと、怒りが襲ってきた……なんだ?」

「なんだって、あなた」

 自分の感情でしょう、とラスは溜息をつく。彼女に同意するかのように炎がぱちんとはじけた。

「俺のじゃないだろ」

 そう向ける瞳に、既に光は無い。

「どういうこと?」

 不可解だ。

「理由が無い」

 その簡潔な理由に、納得してもいいものかと悩む。

「多分……この世界に生きる誰かの強烈な感情が飛んできたんだ」

「そんな事、あるの?」

「あるらしい」

 フェイは苦笑気味に答える。つまり、良くわからないのだろう。

「だが、なんとなくわかる――ただ事じゃない」

 フェイの顔から笑みが消えた。

「――アルだ」

 それだけ言うと、彼は沈黙し、炎に金色の視線を注いだ。

 行かないの?

 そう言いそうになって、慌てて口を噤む。確かに自分たちは、のんきにこの場でしゃべる事しかできないが、しかし、この場を離れることは決してできない。

 この場で使命を全うすることこそ、彼らの勇者の為なのだ。

 しかし。

 もう一方で自問する。これでいいのか、と。

 ただ事じゃない事の起こった勇者に必要なのは、使命を全うすることではなく、その場へ駆けつけてあげることではないのか?

 世界に響き渡るような哀しみと怒りをあげる勇者を、助けてあげる事ではないのか?

「行きなさい」

 間違えちゃ、いけない。身体の奥で、何かがそう叫んだ。

「その涙がアルのものなら、貴方はアルの元へいかなければならない」

「駄目だ」

 彼は、視線を炎に注いだまま即答した。

 それが、彼が何もかもをかなぐり捨てて彼の元へ向いたいのだということを示す。この人は、自分の使命のために己の感情を捨てる事ができるのだ。

 しかし、それでは駄目だ。

「行きなさい」

 だから、先程よりも強い口調で繰り返す。

「アルが、助けを求めている。何よりも、それは優先される事でしょう」

 だから、すぐに行きなさい、とラスは繰り返す。

 間違えてはいけない。

「剣が出来ても、剣を振るうものがいなくては意味が無いのよ」

 ひゅっと息を呑んだ音が聞こえた。見れば、フェイが項垂れている。

「……そうだな」

 また、間違えるところだった。

 そういう声が聞こえた気がした。

「行ってくる」

 しかし、顔を上げたとき、それはいつもの表情だった。その表情に淡い笑みを浮かべ。

「ありがとう」

 そう言って、光の珠は勇者の元へと向った。

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