女神達の遊戯


マイラの村

 ラダトーム北にある山脈を西回りに大きく迂回し、山脈の北にある平原を東へと進む。大河を二つ渡ったところで北上すると、ロトの時代より前からあると言われる巨大な森に突き当たる。

 マイラの森だ。

 その森の中にある人の住む集落が、マイラの村である。

 村の中にも大樹がたくさん茂っていた。木の間を縫って人々が暮らしているようにも見える。空は大樹の葉に覆われ、柔らかな日差しが木漏れ日となって、茶色い大地に降り注いでいた。

 建物まで木で出来ている。開拓のために倒した木を使用したのか、家を建てるために木を伐採して森が切り拓かれたのか……


 ゾーマは、森の中にある村に足を踏み入れた瞬間、鼻をひくつかせて眉をひそめた。

 変な匂いがする。何かが腐ったような、すえた匂いだ。森が放つ濡れた草木の匂いとは違う。どちららかといえば、不快な部類に入る匂いだ。

「こんにちはっ! マイラにようこそ」

 ゾーマが集落の匂いに戸惑っていると、住人が声をかけてきた。人の良さそうな、青年である。ゾーマが振り向いたら、青年は眩しそうに目を細めた。

「ここは初めてだね、少年」

「なぜ、わかった?」

 問いではなく断定してくる青年に驚くゾーマに、青年は明るい笑みを向ける。

「初めてこの村に来る人は、皆、少年みたいな顔をするんだよ――少年ほど綺麗な顔じゃないけどね」

 同じ表情と言われ、ゾーマは納得する。

「臭いよね。驚いた? ずっとここに住んでいる俺でも、風向きによっては耐えられないときがあるからねぇ」

「この匂いは、一体?」

「温泉だよ」

「温泉?」

 ゾーマは首をかしげる。確かにマイラの名物は、この森林と温泉だ。温泉とは、暖かな湧き水の事で、それを風呂のお湯として使う。温泉につかると、傷の治りが速くなったり、節々の痛みが治まったりするとか。故郷でも、魔物が跋扈する前は、老人たちが連れ立って行っていたらしい。

 しかし、このような匂いを発するとは、知らなかった。

「少年は湯治客ではなさそうだね。旅の人?」

「そうだ」

「それでも、入っていくといいよ。旅の疲れが取れるから」

「そうだな。ありがとう」

 青年の親切がありがたかったので、ゾーマは笑顔で礼を言う。ゾーマの笑顔に顔を赤くした青年が指す方へ、ゾーマは歩を進めた。

 温泉には興味がある。



 村の奥にある宿をとり、荷物を置いてからゾーマは村へと繰り出した。

 宿屋は、ゾーマを歓迎してくれた。魔物が現れてから、湯治客が極端に減ったという。温泉による治療が必要な者が、魔物がはびこる森を抜けてくるのは、確かに難しそうだ。

 温泉は宿屋の向かいにあった。木造の大きめの小屋だが、天井がない。それどころか、壁もゾーマの背丈よりも少し高いくらいだ。

 露天風呂と言うらしい。

 外の風景を楽しみながら、湯につかる。壁が高いから、森林の風景を眺めながら楽しむことは出来なさそうだが、遠くの山々と空は綺麗に見えそうだ。

 風呂には常に入れるらしいので、夜にしようと、決める。

 その前に、やるべきことをやらなければいけない。

 姫と、姫をさらった魔物の情報だ。


 ゾーマは村の広場に出た。井戸を中心に人々が集まって歓談できるだけの広さがある。今、そこにいるのは、仕事に勤しんでいる女性のみだ。仕事の邪魔をするのも悪いと思い、ゾーマは広場沿いに構えている、武器屋へと歩を進める。

「ややや、お兄さん!」

 その途中で、しゃがれた女性の声がゾーマを呼び止める。立ち止まって声のした方へ顔を向ければ、木陰で休んでいた老婆と目が合う。

「私、ですか?」

「そうじゃ、そうじゃ」

 彼女はにやりと笑い、こいこい、と手招きする。ゾーマは素直にそちらへと向かった。

 木陰に入った途端、さわやかな空気がゾーマの髪を揺らす。日を遮るだけで、こんなに涼しくなるのかと、驚くほどだ。

「よぉーく、顔を見せておくれ」

「はい」

 ゾーマはしゃがんで、老婆と目の高さを同じにした。老婆は皺に埋もれた紫色の瞳で、じっとゾーマを見つめる。そして、やはり、と満足そうにうなずいた。

「お主の顔には、やがて美しい女に愛される、という相が出ておる」

「……はぁ」

 ゾーマはぽかんと老婆の顔を見た。見知らぬ旅人を呼び止めて、なにかと思えば。

「興味ないのかい、お兄さん?」

「どうなのでしょう?」

 ゾーマは首をかしげた。

 基本的に、ゾーマは人が好きだ。会う人すべての幸せを願う程度には。両親は早くに亡くして良く覚えていないが、親を亡くしたゾーマを育ててくれた故郷の人々を、とても愛していた。しかしその愛情は、老婆のいう『愛』はおそらく違うだろう。

 その種の愛を、ゾーマはまだ知らない。

「美しい女性に愛されるのは光栄ですね」

「さらりと言いおって、色男が。羨ましいのう……」

 けけけ、と老婆は笑い、さっさと去れ、と手を振る。

 彼女はただそれを言いたかっただけなのだろうか。ゾーマは釈然としないまま、一礼して老婆を後にした。


 木陰から出ると、日の光がゾーマを射る。目を細め光を受けとめながら、ゾーマは再び歩き出した。

 美しい女性に愛されるのは、光栄だ。

 女性は美しく魅力的だと思っている。女性の中の一人を愛し、愛されたいと言う夢だってないわけではない。

 しかし、ゾーマはこの手の感情について思いを馳せると、なぜか恐ろしくなってくる。考えることを放棄したくなる。

 おそらく、未知の感情に怯えているのだろう。

「しかし」

 ゾーマはふっと鼻で笑い、顔をなでた。

「――『相』ってなんだ?」

 真に受けず、老婆の戯言だと流しておくべきだろう。



 武器屋には客が一人いた。

「やはり、武器屋には売っていないのか……」

 立派な鎧を着た男は、深刻そうな表情で唸る。一方武器屋の主人は、呆れ顔だ。その主人は、すぐに新しい客へと視線を移した。

「おう、ここは武器と防具の店だ!」

 禿頭の主人は、自信が武器を振り回すことが出来るのではないか、と思えるほどの屈強な体をしていた。

「何か用かね?」

「武器を……」

 言いながら、ゾーマは先客へと視線を向ける。あぁ、と主人は苦笑した。

「こいつは伝説の剣を探して、アレフガルド中の武器屋を回ったらしい」

「伝説の剣は、武器屋に売っているようなものなのか?」

「持っていたとしても、売りもんにするわけないだろ。家宝にするさ」

「まあ、そうだろうな」

「そうなのか……」

 ゾーマ達の会話を聞いて、戦士はガシャガシャと音を立てて崩れ落ちた。

「村の長老がな、この世のどこかに、伝説の剣があるって言っていたんだ。俺はそれを探してアレフガルド中の武器屋を回ったんだが……」

「眉唾じゃねーのか? うちの村の老人共は、もっともらしい顔してホラ話をするのが好きな連中ばかりだぞ」

「ホラ話……」

 ゾーマは先ほど会った老婆を思い出す。やはり、聞き流しておくのがよさそうだ。

「竜王を倒せる剣だぞ! 勇者ロトが大魔王を倒した剣だ!!」

「そんなん、ロトの子孫が大切に保管しているだろ、普通」

「う……ぐ……」

 戦士は主人に言われて黙り込む。確かに、大魔王を倒した伝説の剣なら、どこかで誰かが大切に保管しているだろう。その第一候補がロトの子孫という意見も、もっともだ。

 もっともだが、肝心のロトの子孫は、その剣の存在を知らない。

「それは、現存するのか?」

「どこかにある、って話だ。ロトの剣がオリハルコンって言うのは、有名な話だろう? なら、そう簡単に消滅したりはしないだろう――くっそ。ロトの子孫を探すか」

「伝説の剣を探してどーすんだ?」

 にやにやと、主人が問う。戦士の答えは早かった。

「一目見るのが男のロマンってもんだろう!!」

「……見るだけでいいのか?」

「そりゃ、使えるのならそれに越したことねーが。そんなの手に入れたら、竜王倒しに行かなきゃいけないじゃねーか。俺だって、己の分くらい、わきまえてら」

 そういうものなのか、とゾーマは戦士を見る。

「竜王を倒すのに必要なのは、ロトの剣なのだろうか?」

「ん?」

 戦士が怪訝そうな瞳で、ゾーマを見る。

「竜王を倒すのに、一番必要なのは、意志ではないのか? ロトの剣を持つ者が竜王を倒さなければいけない、と言うのは、おかしい。そこに、意志は感じられない」

 ゾーマはロトの剣の事を知らなかったが、竜王を倒すつもりでいる。その存在を知った今、ロトの剣があれば、勝算が少しくらい上がるだろうと思うが、それがなくてはいけないとは思えない。

「ロトの剣を持つ者が竜王を倒さねばならないのであるなら、それは、伝説の剣ではない。呪いの剣だ」

「……んーと」

 戦士は気まずそうにゾーマから目をそらした。店内に気まずい空気が漂っているのを、流石のゾーマも感じないわけにはいかない。原因はゾーマだ。おそらく、彼はそんな深刻に物事を考えて喋っていたわけではなかったのだ。

「すまない」

 ゾーマは頭を下げた。

「話の腰を折ってしまった」

 そして、体を武器屋の店主の方に向ける。

「私は、伝説ではなくて、普通の武器を探しにここに来たのだが」

「お、おう……」

 武器屋は頷いてから、よし、と気合を入れなおして立ち上がった。店の奥に、品物を取りに行くのだ。

「にーちゃん。薄っぺらい格好だが、防具はいらねーのか?」

 店の奥から店主が大声で聞いてくる。ゾーマの今の格好は、旅用の服とマント、そして薄い盾のみなのだ。

「良い盾はあるか?」

「うーん……鎧ならいいの揃っているんだけど、盾はにーちゃんの持っているヤツ程度だな」

「なら、武器だけでいい」

 日々魔物が狂暴になっている中、装備は良いものを揃えるべきだ、と言うこはわかっている。だが、ゾーマは、鎧を着ないと決めていた。彼が着るべき鎧は、すでにある。ほかの鎧を着る気はなかった。

「ところで」

 店主が戻ってくるのを待つ間、ゾーマは隣で打ちひしがれている戦士へと声をかけた。

「ロトの剣があるという事は、ロトの盾やロトの兜もあるのだろうか?」

「ロトは精霊ルビスに与えられた武器防具を装備して大魔王に向かったのだろう? なら、あってもおかしくないな」

 戦士は立ち上がった。

「俺は伝説の武器防具と言うのが好きで、それを探すために戦士になったのだが、ロトの武器防具に関しては、剣以外の情報など、聞いたことない。そもそも、ロトの剣だって、この村の長老からしか聞いたことないからな」

「なら、本当にホラだという可能性もあるのか」

「本当にある可能性も捨てきれない」

 戦士は目をキラキラと輝かせて、答える。可能性を夢見ることが、幸せでたまらない、と言った表情だ。

「因みに、今までどんな伝説の武器防具を目にしてきたんだ?」

 ゾーマが聞いた途端、戦士は死んだ魚のような目して、ゾーマから視線を逸らした。

「――すまない」

 野暮なことを聞いた。

 店に伝説の武器防具の有無を聞いている時点で、聞かなくても分かることだった。



 夕食を村の食堂で食べてから、ゾーマは温泉へと足を伸ばした。

 あたりはすっかり暗くなり、空には小さく輝く星々が見える。村を囲む木々のせいで空は狭いが、闇の色は澄んでいた。

 ぼんやりと灯りで照らされた風呂の色は乳白色だ。湯につかると、下半身が全く見えなくなった。

 風向きによって強く匂った温泉の匂いは、湯に入った途端、全く気にならなくなっている。不思議なものだ。今は、体を包む少し熱めのお湯が、ただただ心地よい。

 ゾーマは両手で湯をすくった。

 すくった目的は湯自体ではない。その中にちらちらとまぎれている、白いごみのようなものが、気になったのだ。

 それは糸くずにしては太く短かった。手に取ろうとしてもするりと抜ける。それなら湯ごと――と、すくい取っても、手の中の湯に、それは殆どない。

 これは一体なんだろう?

 ゾーマは何度か湯をすくい上げては戻し、と言う動作を繰り返した。確かに湯の中に存在するのに、手に取ることはできない。まるで、ゴースト系の魔物のようだ。

 手に取るのを諦めて、それが漂う様子を目で追っていたら、浴槽の内側に白いものがこびりついているのがわかった。漂っていた糸屑のようなものはそこにたどり着き、白い塊と一体化する。この白い塊は、糸くずたちのが集まってできたのだろう。

「これはね、湯の花っていうのぉ」

「ゆのはな?」

 背後からかかったのは、ねっとしとした女性の声だ。ゾーマは声に背を向けたまま、反復する。

「温泉に溶け込んでいるモノがぁ、集まってぇ、できるらしいのぉ。ゴミじゃないのよぉ」

「雅な名前だな」

 それは『花』に例えるのはあまりに小さく、ゾーマの目には、湯に紛れ込んだゴミのようにしか見れない。この名を付けた者は、さぞかし情緒のあるものだったのだろう。名を知り、改めて糸くずの一つを良く観れば、小さな花が咲いているようにも見えなくもなかった。

 ゾーマは再び湯をすくう。ふわふわと漂う湯の花は、やはりゾーマの手から逃げ出して、手の中には湯しか残っていない。

「お兄さん、旅の人でしょお? みんながウワサしていたわぁ」

 背中にぴたりと手を置かれた感触がして、ゾーマは反射的に前へと飛び出した。

 あん、と残念そうな声が聞こえたが、知るものか。ゾーマは風呂の反対側まで移動した。振り返ることは、しない。視界一面に木でできた壁が広がる。

「いけずなお兄さぁん、こっち向いてよぉ」

「断る」

 勝手に初対面の人に触れてくるのは、男だろうが女だろうが魔物だろうが猫だろうが、警戒すべきだ。ゾーマは壁の木目を凝視したまま、背後に意識を集中した。

「ステキなお兄さんって聞いたのにぃ……顔、見せてよぅ」

 無視。

 湯の花について教えてくれたことは感謝するが、だからと言って、要求に応える気にはなれない。

「ぱふぱふは――」

 ゾーマは無言で腰を浮かせる。その状態で白濁の湯の中を歩いて、脱衣所の方へと向かった。幸い女性は、反対側にいる。彼女を視線に入れないように、入れさせないように歩き、湯船から出た。

「――いかが……じゃなさそうね」

 ため息交じりの言葉も、一切無視して風呂から出た。

 せっかくの良い気持ちが、台無しだ。


 森から吹く夜風が、ゾーマの髪をなでる。乾いた冷たい風が、温泉で火照った体に気持ちいい。涼しい風にあたっても、しばらく湯冷めすることはなさそうだ。身体が、芯から温かい。温泉で起こったことは不快だったが、温泉自体は大変良いものだった。誰もいない早朝に、もう一度入ろうと心に決める。

 外に出ると、なぜか温泉の匂いが気になるようになったが、不快感は減っていた。人は、何事にも慣れることが出来る。

 ゾーマは空を見上げながら、人のいない村をのんびり歩く。

 木々に囲まれた村の闇は深い。木造の家から漏れ出る灯りや星明りで照らされるのは、ほんのわずかな場所のみで、あとは闇に沈んでいる。昼間にぎやかだった広場にも、今は誰もいない。

 森へと目を向ければ、そこには闇しかなかった。

 魔物は日に日に強くなっている。光の珠が失われ、日を追うごとに闇の力が増している証拠である。

 この闇は、マイラの森特有の闇なのか。それとも、今、この世界で起こっている事態のせいなのか。わかるのは、この闇の中にも、魔物がいるであろう、という事。

 だから人々は、灯りをつけて、家に閉じこもる。ほかの街より闇の深いこの村なら、なおの事だろう。

「私も、戻るか」

 誰もいない広場にたたずんでいたゾーマは、呟いて踵を返した。

 と、その時、闇の中に光るなにかを見つけた。

「?」

 ゾーマは目を眇めて、光った方を見つめる。確かに、光が見えた。街の中に茂る低木の隙間だ。

 ゾーマは迷わず光の方へと歩く。湯上りで丸腰だが、問題ない。森の闇は魔物を隠すが、この藪は街の真ん中にある。さすがに魔物が身をひそめることはできないだろう。

 藪をかき分けると、地面が光っていた。

 光る地面に手を当てると、わずかに暖かい。そっと地面を掴むと、手のひら一杯に土を掴むことが出来た。掘り返した跡がないのに、まるでさっき掘ったかのような柔らかさだ。

 ゾーマはあたりを見回して適当な枝を探す。風呂できれいにしたから、がむしゃらに掘って体を汚したくなかった。もう一度入るにも、あのぱふぱふ女がいるかもしれないと思うと、今夜は行きたくない。

 低木に落ちていた枝を拾い、ゾーマは土を掘る。柔らかい土は半分腐った枝でも簡単に掘ることが出来た。そんなに柔らかい地面があるのかと疑問に思ったが、好奇心が勝る。ゾーマは光の元を求めて、土を掘り続ける。

 不思議なのは光もそうだ。いくら掘っても光の強さが変わらない。普通、覆い隠すものが薄くなれば、光はより強くなるのではないだろうか?

 首をかしげながらも手を止めずに掘り進めて行く。間もなく、土とは違う感触があった。ゾーマは木の枝を投げ捨てて、手でゆっくりと掘り進める。

 汚れることなど、忘れていた。

 土の中から出てきた物から放たれていた光は、手に取った瞬間消えた。それは、細長い物だった。土の中にあったにもかかわらず純白の布に包まれている。

「笛?」

 中身を見る前に、そう思った。木製の、繊細な細工の笛だと。


 ゾーマは包みを手に藪から出る。広場の井戸で手を洗い、井戸の淵に腰かけた。

 月が高くなっている。森の中にぽっかりと空いた広場に、月明かりが差し込んでいた。

 月明かりのもとでゾーマは包みをほどく。白い布の中から現れたのは、想像と全く違わない造詣の縦笛だった。

 その笛を、ゾーマは呆然と見つめる。

 変な気持ちだった。懐かしさと、愛おしさ。そして、それを上回る大きな虚しさ。しっかりと理解しようとすると、気が狂いそうになる様な、複雑で、そして強い感情だ。

 この感情をゾーマは何度か体験している。

 たとえば、ガライの墓で銀の竪琴を手にしたとき。たとえば、ロトの洞窟で墓守と初めて会ったとき。

 ただ、この笛を見た瞬間は、今までにないくらい強くその気持ちを感じた。

 これは、一体なんなのだろう?

 まるでゾーマに掘り出されるのを待っていたかのような笛。そして、その笛を手に取ったとたんに湧きあがった感情。全てが不可解なのに、全く不快ではないのも、不思議だ。

 なんとなく思いついて、ゾーマは銀の竪琴を取り出す。そして、笛と竪琴を並べた。

 木製の笛と、銀製の竪琴だが、並べるとなんとなくしっくりくる。これらは、二つで一つのなのかもしれない。しかし、一人で二つの楽器を演奏することは出来ない。二人で使うものだろう。

 では、自分はどちらを使うのかかと考えると、銀の竪琴だと確信を持って言えた。

「では、こちらは誰が?」

 二つの楽器を月明かりにかざす。

 銀の竪琴は、わずかな月明かりを受けて、美しく輝いた。一方木製の笛は、月明かりに柔らかな造形が照らされるだけだ。しかし、そのほのかな陰影が美しい、そうゾーマは思う。


 ――くすくす


 月に照らされた笛に見惚れていたら、ひそかな笑い声が聞こえてきた。

 ゾーマは二つの楽器下ろし、辺りを見回す。

 村の入り口の方に、少女が二人、こちらを見て笑っていた。

 ゾーマはその少女たちを見て、思わず立ち上がる。彼女らは全く同じ顔をしている。月夜に淡く輝く銀の髪が印象的だ。

「精霊? 双子?」

 銀の髪を持つのは、精霊とその眷属であるエルフのみだ。小柄な二人の少女は、笑いながらゾーマを見ている。

 彼女たちと目があった。

 彼女は悪戯っぽくゾーマにウインクをし、手招きをした。

 ゾーマは二つの楽器を道具袋にしまい、そちらへと向かった。二人はゾーマに向かって手を差し出す。彼はそれぞれの手で二人の手を取った。

「こっち」

「こっち」

 二人の少女はころころとした声で囁き、開いた手で北西を指さす。そして、ゾーマの手を引っ張った。


 ゾーマは、少女たちに導かれるままに、マイラの森を歩く。

 森を抜けたら、月明かりが草原を照らしていた。その光景に、思わずゾーマは足を止める。

 薄い緑の草原に金色の光が降り注ぎ、草原自体が金色に輝いて見える。風でさわりと揺れる草々は、まるで金の波のようだ。美しさに、ゾーマはほうと息を吐く。

 足を止め、月明かりの風景に見惚れるゾーマの両手を、銀の髪の少女たちは引っ張った。

「こっち」

「こっち」

 情緒のかけらもない。

 ゾーマは苦笑を浮かべて、再び歩き出した。


 草原を北に抜け、三人は再び森に入った。マイラの森よりも深い森だ。しかし、魔物の気配がしない。それどころか、今までのどこよりも空気が澄んでいた。

 二人のエルフは深い森の中を迷わず進む。ゾーマは森の姿に目を奪われながら、彼女達について行った。

 森は美しかった。

 どこを見ても同じ木が存在しない。世界中の木がここに集約しているかのようだ。常にそれぞれの木が、自らの美しさをゾーマに誇示する。すべて違う魅力を持ったそれらは、すべて印象的で、どんなに森の深くへ行ってもその木々自身が目印となるために、道を誤ることはないだろう。

 主張の強すぎる木々は、しかし、無秩序なわけではない。だからと言って、整然としているわけでもない。ちょうどいい雑多さが、絶妙な美しさを作り上げていた。


 どのくらい進んだだろうか。

 森は唐突に途切れた。

 途切れた森から出たゾーマを迎えたのは、月明かりでわずかに明るい空と、吸い込まれそうな深い色の海だ。濃紺の海に半島がせり出しており、そこに塔が建っている。あの塔が目的地なのだろうと、ゾーマはあたりを付けた。

「こっち」

「こっち」

 思った通り、二人はその方向へゾーマを引っ張った。


 塔は青白い石造りの小さなものだった。

 二人のエルフは、塔の入り口で繋いでいた手を放した。

「さあ、この中へ」

「主がお待ちしております」

 二人は初めて、それぞれ別の言葉をしゃべった。

 少女達は今、ゾーマをしっかりと握っていた手を、塔の方へと差し出している。その瞳をまっすぐゾーマに向けて。

 ゾーマは、瓜二つの少女達の、瞳の色だけが違う事に、初めて気付いた。


 塔の中は一本道だった。

 唯一の階段を上りきると、そこが最上階だ。その中央に、一人の女性が背を向けて佇んでいる。先程のエルフ達よりも純粋な銀の髪を持った女性だ。天井に開いた明り取りの窓から月明かりが差し込み『彼女』をより幻想的に映し出していた。

「――……」

 ゾーマの口が『彼女』の名を呼んだ。しかし、それは言葉にならなず、空気が漏れる音だけが、部屋の中に響く。

 しかし、その音無き声に応えるかのように、『彼女』はゆっくりとこちらへと振り返った。

 月光に照らされた美しく幻想的な顔が、嬉しそうに、そして、哀しそうに微笑む。ゾーマもそれに、微笑みを返し、一礼した。

 しかしその表情が、きちんと笑みになっている自信がない。


 わからない。

 わからないけど、胸が苦しい。とても。


 『彼女』の姿をずっと見ていたいのに、見ることが出来ない。笛を手にした時以上の、自分ではどうしようもない感情が、ゾーマ中で渦巻いている。


 会いたかった、とても。

 会いたくなかった、しかし。


「ゾーマ、貴方が来るのを待っていました。貴方のような若者が来ることを……」

 月光のような儚い声が、塔に響く。儚いが美しく響く声だ。それが、事務的な、あまりに事務的な響きで、ゾーマに語りかける。その淡々とした、そして神々しい声で、得体のしれない感情の高まりが消えた。同時に頭がすっと冷える。ゾーマは彼女の紡ぐ言葉に集中することにした。

「このまま世界が闇に覆われ続ければ、人々の心は荒んでしまうでしょう。それだけは、食い止めなくてはいけません」

 ゾーマは神妙に頷く。そのゾーマに、銀髪の女性は右手を差し出した。

「銀の竪琴を、こちらへ」

「銀の竪琴?」

 ゾーマは驚きの声をあげた。今、それが出てくる理由がわからない。

「貴方の持つ、わたくし達の作った楽器と交換で、雨雲の杖を差し上げましょう」

「あまぐものつえ?」

 ええ、と彼女は頷く。

「貴方にとって、何よりも必要なものの筈です」

「杖が?」

 ゾーマは剣を使う。斧や槍も使う事はできるが、主に剣だ。杖は使えなくもないが、武器としては不足していると思う。魔法使いなら杖で魔力を強めたりもするが、そこまで魔法に頼った戦い方をしているわけでもない。

 そんなゾーマにとって何よりも必要な『雨雲の杖』とは?

「あぁ」

 そこまで考えて、一つ思い当った。ロトの石碑の文言だ。

「貴女は、ロトが『神秘なる物』を託した三賢者の一人ですか?」

 『太陽』の石と対を成す物として、『雨雲』の杖と言うのは、相応しい気がした。しかし、彼女は『賢者』と言うよりも、むしろ――

「わたくしの正体など、どうでもいいのです」

 さあ、と再び促されて、ゾーマは道具袋から銀の竪琴を取り出した。

 『彼女』にこの竪琴を『返す』のは、問題ない。ただ、少しだけ、後ろ髪が引かれる。これは、『彼女』と『私』の絆だったから。

「妖精の笛でもよろしいのですよ?」

 彼女は、悪戯っ気のある笑みを浮かべる。ゾーマは迷わず銀の竪琴を差し出した。妖精の笛――木製の笛、ゾーマではない者のための楽器。これだけは手放せない。どちらかを選べというのであれば、迷う間もない。

 迷いを捨てて渡された銀の竪琴を手に、彼女は苦笑に近い笑みを浮かべる。少しだけ露わになった表情を見ると、やはり心が騒ぐ。

「やはり、そうなのですね」

「やはり?」

 彼女は、なんでもない、と首を緩く左右に振り、どこからともなく杖を取り出した。それを、ゾーマに渡す。再び、事務的な声で語りかけた。

「太陽と雲のあわさる場所へお行きなさい」

「――虹の橋」

 これは、有名な伝説だ。

「雨と太陽が合わさる時――」

 口走るゾーマの声に、彼女の歌うような声が重なる。

「「虹の橋ができる……」」

 美しく混じった一文に、二人は思わず顔を見合わせる。その瞬間、『彼女』は大輪の花が咲きこぼれるような笑みを浮かべた。

 ゾーマが、ずっと見たかった笑みだ。彼女の素顔だ。

 夢のようである。

「お会いできて、嬉しかったです」


 それは、本当に、夢のような――




 窓から差し込む日の光で、ゾーマは目を覚ました。

 起きた瞬間、彼は自分がどこにいるのかわからなかった。

 堅いベッドの上で、彼はあたりを見回す。木でできた壁に囲まれた小さな部屋の、小さな窓から差し込む日が、ゾーマの目を刺した。

「宿?」

 いつの間に?

 ゾーマは昨夜のこと思い出す。土に埋もれていた妖精の笛。金色の草原。二人のエルフ。神聖な森。そして『彼女』――

「まさか、夢?」

 ゾーマは起き上がり、棚に置いてある道具袋を取り出す。あれが現実なら、あるはずだ。そして、無いはずだ。

 袋から出てきたのは木製の笛と、木のような、石のような不思議な素材の杖。そして、ずっと持ち歩いていた銀の竪琴が、消えている。

 ゾーマはそっと笛と杖を握りしめた。木の暖かさと石の硬さを感じる。確かにこれらは、今、ゾーマの手の中にある。

「夢ではない」

 月光そのもののような美しい髪。儚くも凛とした声。花も恥じらうばかりの可憐な笑顔。

 なぜか懐かしさでいっぱいになる。初めて会うはずなのに、初めてには思えない。

 それは、ずっと見たかったものだった。ずっと、探し続けていたものだった。

 現実に、本当に、会えた。

 それだけで、十分だ。


 今までにない程満たされた気分で、ゾーマは一人、微笑む。

 そうだ、朝日を浴びながら、温泉に入るんだった。

 窓を開けると、温泉独特の匂いが部屋に入ってきた。

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