女神達の遊戯


銀の竪琴

 勇者が竪琴を弾き、魔法戦士が笛を吹く。その音色に合わせて、精霊が歌う。

 その時間は、たまらなく幸せだった。



 その音は、地の中から世界へと響いてきた。

 吟遊詩人ガライで有名となった銀の竪琴。しかし、それの真の持ち主は、ガライではない。

 彼が大切に仕舞っていた銀の竪琴を見付けるだけの音楽の才能が、確かにガライにはあったのだろう。一定以上の才がなければ、立ち入る事ができない様に封印していたから。

 完全に封印しなかったのは、心のどこかで、あの音を再び聴きたかったからなのかもしれない――ただ単に、力を失っていたから、封印が弱まっていただけかもしれないが。

「皆、喜んでいるな」

 身体中に響き渡る音色に、彼は目を細めた。



 ガライは手に入れた竪琴を、結局ガライヤ半島の実家の、自分の部屋に仕舞い込んだ。そして今際の際、銀の竪琴を自分と一緒に埋葬するように言った。

 なにも知らない人々は、それがガライにとって、とても大切な物だと思ったのだろう。しかし、実際はそうではない。あの恐ろしい楽器を、他の人が誤って演奏することの無いように、自らと一緒に葬ったのだ。


 ガライは一度だけ、銀の竪琴で演奏した。

 銀の竪琴を手に入れてすぐに。まだ、ロトがアレフガルドに降り立つ前の、絶望の闇が濃く世界を覆っていた時だ。


 メルキドの町を拠点に、高原を散策していた時である。見たこともない古い祠を見つけた。古いが廃墟のようではない。だからと言って、生活臭があるわけでもなかった。

 冒険家としての一面も持つ吟遊詩人は、そっとその祠に入る。魔物がいるとは思わなかった。魔物がすむには、あまりにも空気が清浄だったから。メルキドの神殿だって、こんなに綺麗な空気ではない。

 祠の中には何もなかった。前方にぽつんと階段があるだけで。

 ガライはその階段を上る。上った先には、なぜか花畑が広がっていた。その奥には、立派な椅子。この祠の主人の者だろうか。

 しかし、今、ここには誰もいない。完全な無人だ。もしこの場を歌にするなら……

「役目を終えた聖人が去った地」

 木でできた手作りの竪琴で適当な曲を紡ぎ、それに合わせて歌う。

 もっとここが荒れていれば、魔王によって滅ぼされた、などと歌っただろう。去った、としたのは、ここがあまりにも綺麗だったからだ。

 ただ、主人だけがいない。ガライには、もう帰ってこない気がした。

 この祠には、そんな空虚な空気も漂っている。

「一体どんな役目だったのか……この絶望の地で」

 竪琴を鳴らしながら、花でおおわれた床を歩く。

 聖なる者が果たす役目、世界を闇に覆う魔王を倒す何か。そうであったらいい。勇者が現れ、それに聖人は力を託す。もしかしたら、ここで勇者が育ったのかもしれない。大きくなった勇者は今、このアレフガルドのどこかで、魔王を倒すために進んでいる。そうだ、その物語がいい。

 物語は、無限だ。そして、自由だ。

 絶望の世界で、絶望しないための、ガライの知っている唯一の方法だ。

 だから、彼は、歌を紡ぐ。

 自作の竪琴を手に――

「おや?」

 部屋の中ほどで、彼はそれを見つけた。

 無造作に置かれたそれと、自らが手に持つそれを見比べる。

 その質は雲泥の差だが、それを示す名前が同じだという事を、彼は確認した。

「竪琴」

 祠の主の落し物だろうか?

 ため息が出るくらい美しい銀の竪琴だった。先端に女神が彫られている。これは、大地の神ルビスだろうか? 青い宝玉と彫像の対比が美しい。

 それは、弦まで銀だった。

 まるで銀の髪を縒り合せたかのような、ほのかに輝く弦。銀の髪と言えば精霊の髪だが、まさか、この弦が精霊の髪というわけではあるまい。だが、それを意識したものであることは確かだろう。

 ガライは弦を一本はじいてみる。

 自分が作った馬の尻尾の弦とは比べ物にならないほど、美しい音が響いた。

「これは、素晴らしい」

 音楽を愛するものとして、こんな楽器を手に入れたら、弾かずにはいられない。

 ガライは、迷わず銀の竪琴を弾き始めた。


 魔物が襲ってきて、その勢いで祠が破壊されたのは、すぐ後だった。


 ガライだって、魔物と戦ったことはある。アレフガルドを旅するものなら、誰だって、そうだ。

 銀の竪琴を弾いたときに襲い掛かってきた魔物は、そんな人を襲う魔物と少し違った。

 はっきりと、どう違うとは言えない。しかし、襲い来る魔物の雄叫びは、怒り狂っているように見えた。哀しみ嘆いているような声を上げる魔物もいた。

 訳がわからないまま、ガライは慌ててリレミトで祠から逃れる。魔物が跋扈する世界で旅をした経験からの、とっさの判断は、正しかった。魔物たちは、ガライが脱出した直後に、彼が今までいた祠へと襲い掛かった。

 目の前で魔物たちが祠を破壊する様をガライは呆然と見つめていた。

 その手には、しっかりと銀の竪琴が握られていた。


 魔物が去って静かになった大地で、彼は手にある竪琴と、崩れた祠を交互に見詰めた。

 深く、深くため息を吐いて、瞳と閉じる。

 そして、ルーラを唱えた。行先は、ガライヤ半島にある、実家である。


 ガライは、実家にある自室の地下に、銀の竪琴を隠した。

 彼は打ちのめされていた。

 魔物に襲われたからではない。

「オ前ジャナイ」

「オ前ガ、コレヲ汚スナ!」

「ヤメロ」

「コノ音ヲ聴カセルナ!!」

 思い返せば、魔物たちの叫びの中に、片言ながら人に理解できる叫びを放っていた者たちがいた。その言葉は、自分の演奏を否定していた。それが、彼にとっては衝撃だった。

 ガライは銀の竪琴を仕舞い、再び旅に出た。おそらく、今日の出来事は、絶対に歌う事はないだろう。


 世界に光が戻ってからもガライはアレフガルドを放浪していたが、魔物によって壊されたあの祠へは二度と行くことはなかった。

 そもそも、どう歩いてそこへたどり着いたのか、ガライは最後まで思い出すことすら出来なかったのだ。



 その竪琴は、ロトの時代よりもはるか前に現れた勇者の物だった。

 神話と伝説の狭間に消えた勇者へ、精霊が贈った物だ。

 その音を、魔物達は喜んだ。特に、勇者の仲間である魔法戦士の笛と、精霊の歌による演奏を彼らは好んだ。

 彼らの演奏を聴いている時だけ、彼らは世界を滅ぼそうとする魔王の意志から逃れ、自らの意志で、音を楽しむことが出来たのだ。


 しかし、その音は、魔王の滅びと同時に永遠に失われた。

 銀の竪琴は奏者を失った。あれ以来、精霊の歌を彼は聞いたことがない。妖精の笛の持ち主はそれを二度と手にすることはなかった――正確に言えば一度だけ、勇者ロトを通じて手に取ったが、それきりだ。

 彼は、奏者を失った竪琴を、数少ない勇者の遺品を、精霊が管理する祠へと封印した。そこにいた精霊達は、大魔王の時代、ルビスが封じられると危険を察知し、祠から逃げ出したようだが、銀の竪琴を持ち出すことはしなかったようだ。

 それをガライが見つけた。


 魔物達は、銀の竪琴が二度と曲を奏でることがないことを悲しんでいた。同時に、彼以外にあれを奏でさせたくないとも思っていた。それは、彼の我儘でもあった。

 だから、ガライが知らずに銀の竪琴を奏でた時、その音色を聴いた近隣の魔物達は、逆上したのだ。

 一流の奏者が奏でた音は、勇者の音と比べ物にならないくらい、素晴らしいものだった。だが、魔物達が求めていたのは、それではなかった。彼らが――そして、彼が――求めていたのは、『勇者』の演奏。一流ではないが心を惹きつけて離さない、あの音なのだ。

 これは彼の憶測だが、当時魔物を支配していた大魔王は、この音を聴きたくなかったのだろう。最も美しい光の思い出、そして、闇へと繋がる記憶が、その竪琴には詰まっているから。

 ガライには申し訳ないが、あの時代、世界や魔物があの竪琴を弾くことを許せたのは、大魔王だけだっただろう。


 大魔王が滅び、アレフガルドに世界が戻り、魔物が穏やかに、人目を避けて生きるようになってからも、それは変わらなかっただろう。

 それくらい魔物達や彼にとって、竪琴の音は大切なものだからだ。


 その竪琴が、音を奏でる。およそ、400年ぶりに。

 しかし、魔物は奏者を襲う事はなかった。彼らはその音に惹きつけられ、引き寄せられた。そして、何千年――何代もに渡って――求めてきたその音色に、聴き入る。

 そこに、妖精の笛による伴奏はないけれど。

 そこに、精霊による美しい歌は――

 彼は、驚いて傍らにいる女性を見上げた。彼と同じ銀色の髪を持つ、この世界の神である精霊を。


 歌っていた。

 紫色の宝石のような瞳から、宝石の涙を零しながら、彼女は歌っていた。


「ルビス――」

「嬉しい」

 歌い終わっても、彼女の眼からは涙があふれる。それは、きらきらと輝く喜びの涙だ。

「まさか、また、あの方の音を聴けるだなんて――その音を聴いて、こんなに嬉しさが溢れてくるなんて」

 哀しみでも、苦しみでも、ない。心に痛みがないわけではないが、それを消すような幸せが溢れてくる。最も輝いていたあの頃の思い出が、輝きのままに心から浮かび上がる。

「ありがとう――本当に、ありがとう」

「それは、ロトと、あのゾーマに言うんだな」

 礼を言われる筋合いではない。彼はふいっと精霊から視線を逸らした。


 彼は逸らした視線で、眼下にある大陸へと視線を向ける。

 いくつもあるいびつな大陸の中にある、たった一つの生きる者たちがいる大陸。今後、アレフガルドは、世界ではなく、この大陸の事を指すようになるだろう。

 その大陸に生まれた、神話と伝説の狭間に消えた勇者の魂を持つ少年。その魂を宿した肉体が、その勇者と同じ名を持ってしまったのは、決して世界の意志ではない。だが、無意識にちりばめた願いを拾われてしまったのかもしれない。

 彼は世界の危機に、勇者となるべく生まれた。

「世界の、危機……か」

 彼は誰にも聞こえないくらいの小さな声で呟いて、眉をひそめる。

――間抜けだからな

 400年以上たった今でも、思い出そうと思えばすぐに思い出せる言葉。間抜けで悪かったな、その通りだよ。と、記憶の中の声に対して、悪態をつく。

 これを危機と言うのか分からないが、世界が、彼のような大器を必要としているのは、確かだ。


「はぁぁ~~~~~」

 彼は大きな溜息をついて、中空にしゃがみこんだ。

 どうしたの、とルビスがこちらに視線を向けたのがわかる。

「どうやって、説明しよう」

「話してわからない人じゃないでしょう?」

「激怒しそう」

 ころころと綺麗な笑い声が頭上で響く。それに彼は、再び頭を抱えた。

「わたくしたちが、彼を試しているのは確かですからね」

 そう、彼らはゾーマを試している。

 竜王の城に行く手段がはっきりとわからないのも、その一つだ。

 ゾーマは、今の時代の人々は、弱い。平和に慣れきっていて、破壊の力を失いつつある。それは本来とても良いことだが、有事の際にそれは、困る。

 だから、ロトとその仲間たちは、人々を絶望に陥れる闇が現れた時に、すぐにそこへ行けないようにした。アレフガルド中を回り、世界を知り、闇に対抗する力をつけてから行けるように。

 そしてルビスと彼は、ゾーマがその道をたどり、竜王を倒せるかどうか、試している。


 傲慢だ。

 ゾーマに途方もないことを頼む予定のくせに、どうしようもなく、傲慢だ。


 彼は再び深く溜息を吐いた。

 その耳に、再び澄んだ竪琴の音が入ってきた。なんの気紛れか、ゾーマが再び銀の竪琴を奏でたらしい。

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